向きを変えながら2本のジャンパー線支持にピンがいし!
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こちらは、東京都中野区の新青梅街道と環七通りが交差する丸山陸橋付近にて発見!
まさかっ!このタイプが都会に残っているとは!発見当初は驚きだった。
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通りすがりで最初に古い引き留めクランプカバーが見えたので、路地に入って、奥に立つ方向を変えている1本の上部形状を見てみたんだが
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よく見てみれば、ジャンパー線支持は高圧ピンがいしのままだった!
10号中実がいしに交換されていない。
交換されていない理由はわかる。
高圧耐張がいしを支えている2枚ストラップと重ねづけされているからだ!
東京都大田区で沢山発見することができた「残る耐塩皿がいし」と同じ感じである。
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なお、現役な箇所はここと
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こちらの2つだけのようだった。
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なお、高圧用腕金についても、いずれとも昔よく使われていた長さ1500mm仕様のようだった。
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1500mmといえば、やはり年式としては、昭和35年前後ではないだろうか
その時代のものだったようで、高圧耐張がいしを支えている2枚ストラップは、尖がるように長くなっていた。
これまたこの時代の特徴である。
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なお、高圧耐張がいし先端にある黒色の引き留めクランプカバーについては、1970との文字も確認できた。
カバーについては後から施設された感じだろうか
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さらに反対側へ!
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大田区ではここまで錆びついたものでジャンパー線支持に耐塩皿がいしを使った旧式を発見したことがあったが
まさか中野区でも、ここまで錆びついた古いタイプがあったとは、珍しかった。
大体ここまで錆びているものは、昭和35年前後から残っているものが多い。
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さて、ここで各高圧がいしの製造年確認をするが、高圧ピンがいしの製造年については上部に書かれているので確認はできない。
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高圧耐張がいしの製造年はズーム不足でできなかった。
なお、ここではその連結部分に1974年との文字が確認できた。
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そして建柱年を確認することができた。
見ると1966年(昭和41年)とあった。やはりその高度経済成長期の時代か
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