今はなき電力館にて
(訪問年月日:2010年9月19日)
勿論、電気の史料館の方にもちゃんと足を運びましたが、今回はなくなってしまった渋谷の電力館の方の写真を少し掲載しようかと思います。
電力館の何階だったのは忘れたが(確か上の方だったはず)、丁度こんな感じの低い配電柱が出迎えてくれた。
そして、他のフロアーには人が沢山いたのに、何故かこのフロアーだけは人がいなかった。w
やっぱりそこまで興味のある人はいないってことですかね
しかし、自分もなぜここまで配電設備に興味を持ったのか、今も具体的にはよくわからず不思議でならない。w
送電設備や配電設備を記録していくために生まれてきたとでも言うのだろうか
さて、自分はやっぱり配電設備(配電柱と絶縁体のがいし)にしか興味がないので、このコーナーだけを重点的に見させてもらった。w(実は送電と配電以外の電力設備にはあまり興味がない。)
それでは上からじっくり見ていこう
博物館用の展示物となっているので、柱はやたらと低い。
架空地線キャップを取り付けるスペースまではなかったようだ。
高圧用腕金のサイズも短くショートサイズ(1500mm仕様)となっている。
引き通し仕様でのショートサイズは千葉のみで積極採用がまだなされている。
高圧配電線(6600V)引き通しがいしはクランプがいしとなり1982年製のものだった。
1980年代はピンがいしや耐塩皿がいしからクランプがいしへの交換が行われていた頃ですから、クランプがいしの実物を置いたのでしょう。
低圧配電線で動力線(200V)部分の拡大写真となります。通常、中性線を除く2本の動力線は低圧ピンがいしによって支持されます。
ちゃんと赤色のアース線も再現されています!
高圧用腕金を支えるアームタイから降りた接地線は中性線(架空共同地線)に接続されています。
中性線は接地されていることから青色の低圧引き留めがいしを使って印をつけています。
低圧配電線で電灯線(100V)部分になりますが、配電柱自体が低いため、結構窮屈な感じになっていました。
変圧器への引き下げ線も本物そっくりに再現されていた。耐塩ピンがいしが使われており、製造年も確認できる。メーカーは現在のロゴで日本ガイシ製ということがわかる。
1982年と確認できることから、電力館は1980年代にオープンしたということでよさそうです。
変圧器1次側にある高圧カットアウトもちゃんと取り付けられています。
ここでは変圧器も少しだけ中身を見ることができました。
上蓋に青文字で20と確認できることから、20kVAタイプの変圧器となるようです。

配電柱の後ろ側には詳しい説明もありましたが、私はこれ以上知ってます。w
捕縛バンドの説明がありますが、これが登場する昔は針金状のもので変圧器を縛りつけていました。
配電柱のリサイクルの項目には、アスファルトとして再利用していたとの確認ができる。これは初めて知った。
そして、電柱ではなく「配電柱」って言った方がやっぱり響きはいいですね!
電柱っていう響きがいまいち
高圧がいしと書かれていますが、マニアック的に言うとクランプがいしとなります。
昔はこれがピンがいし、海に近ければピンがいしと耐塩皿が合体した耐塩皿がいしでした。
低圧がいしとありますが、マニアック的には低圧ピンがいし
低圧ピンがいしも昭和の頃は分岐用として低圧曲げねじ込がいしがありました。

終わりに

電力館から撤去された後は恐らく、実際の配電設備で活躍しているところだと思われるが、柱ごと全部お譲り頂いてもよかったのにw
なんか、我が家も将来は、マイ電柱建てるとか新聞で言ってるしw

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