東京電力管内の配電柱
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関東地方にお住まいの方はもうお馴染み。
当サイト作者が!まず!!3歳の頃に一番初めに興味を持ったのが!!!東京電力が管轄する配電設備である。
興味を持った理由についてはやはり、黒いカバーと、高圧がいしの白い磁器の部分が重なって、目のように見えたからである。(笑)
電柱趣味を持つ方々は、誰もがそう見えるらしい。
後は大昔に、祖父が東電に勤務していたことも関係しているのかと思っている。(私は勤務していない。)
逆に、もしも私が地方の電力会社が管轄する供給エリアに生まれていたとしたら、そういった部分があまりないから、多分、電柱に興味がなかったと思っている。(笑)
そして!私が「地方ごとに電柱の種類が違う!」ということに気が付いたのは、小学校時代にスパリゾートハワイアンズに行った時のことである。
丁度、福島県に入ってから常磐道のインターを降りると電柱の種類が違うことにまず、気が付いたのであった!(笑)
当初は、工場に張られている独自の構内設備であるものかと思っていたが、そうではなく、永遠と道沿いに、いつもとは違う種類の電柱が続いていたのだった。w
そう、そこは丁度、東北電力が管轄する供給エリアであったのだ。
まぁこれは話すと長くなるから、また今度(笑)
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その前に!
まずはこれまでに集めてきた送配電工学系の文献を参考までに調べ上げてきた、大分今の形に近い、東京電燈(現在の東京電力の前身)時代の大正期からの配電柱を振り返ってみよう。
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<大正4年頃〜昭和20年代頃まで>
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※高圧1号ピンがいしは製作不可のため、近代の耐塩ピンがいしに置き換えて製作
また、文献によれば、電線の本数の多い市街地では、早くて既に鉄筋コンクリート柱が普及していたようであるが、当時はまだ木の電柱が主流であった。
明治期はまだ電線が整理されておらず、電圧はバラバラで電線もまた何本も通っているのが基本であったが
本格的な長距離送電線路(猪苗代旧幹線など)が建設された後の大正4年頃からは、大分電線が整理され、今の形に近くなる。
高圧配電線の下にあるのは今の配置方法と同じく、低圧動力線、次いでその下は低圧電灯線となるが、当時の低圧配電線は、今とは違い、水平配列が基本であった。
また、低圧動力線については三相3線式が昔から基本であったが
主に家庭で使われる低圧電灯線については、まだ単相3線式はあまり普及しておらず、単相2線式が多かった。
低圧がいしについては、当時はまだ低圧ピンがいしはあまり普及しておらず、低圧2重がいしを使用する例もあった。
次いで、変圧器の載せている変台については、当時はトンボ腕金形状はしておらず、2本の腕金を平行に並べただけであった。
変圧器の2次側から引き出される低圧立ち上がり線については、まだ近代の太いホースのようなものは普及しておらず
変圧器から直接、低圧立ち上がり線が立ち上がり、変圧器の上部を通る低圧配電線へ接続されていた。
昭和30年年代頃までは、その手のものが基本であった。
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<昭和30年代前半>
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当時、1次側である高圧側の変圧器の保護には、がいしスイッチ(がいし型開閉器)が使われていた。
次いで、2次側である低圧側の保護は、低圧カットアウト登場前はケッチホルダ(キャッチホルダともいうらしい。)が使われていた。
この当時は、高圧配電線の引き通しには、高圧ピンがいしが使われていた。
この高圧ピンがいしも当時は種類がさまざまあり、配電電圧昇圧前の3300V用(高圧1号、2号ピンがいし)もあり、形状が若干違ったものも複数実在していた。
しかしその後、海沿いの地域である塩害地域では、昭和40年代以降、配電線の塩害事故が増えたことから、高圧ピンがいしに耐塩皿を追加するなどして、塩害対策を行っていた頃もあった。
次いで、電力需要が増加し、太いアルミ線を使うようになった(今日の設備に近い)その後の昭和50年代には、高圧配電線の引き通しに10号中実がいしを使ったものも登場したが
配電線の絶縁電線化が進むと、今度は雷による配電線の断線事故が増加したことから、絶縁電線路に放電箇所を用いた放電クランプがいしが昭和55年頃に登場した。
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<昭和30年代後半〜昭和50年代前半頃まで>
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最初の配電線の電柱(配電柱)は、クレオソートなどの防腐剤を注入した木(木柱)が主力だったが、東京23区は鉄筋コンクリート柱化が早く、前回の東京オリンピックが開催される昭和39年頃には、既に数多く普及していた。
また、高圧がいしについては、内陸部は高圧ピンがいしが主力で、沿岸寄り(海から10数キロ地点まで)の地域については、高圧ピンがいしや耐塩高圧ピンがいしに耐塩皿を追加した耐塩皿がいしが普及していた。
他には、耐塩皿を追加しない耐塩高圧ピンがいし単独の引き通し装柱もあった。
また、当時の変圧器の取り付け方法については、腕木や腕金によって組まれた変台(変圧器の土台)に載せるか
変圧器の前面にある4つのフックを使い、それを4か所、2つのハンガーに固定して、変圧器を吊り下げ固定したハンガー装柱によるものが基本だった。
(※ゴロンディーナーの叔父は、大体この頃に東電に勤務か?当時はバイクで巡視をしていたという話を聞いている。)
なお、東京都足立区で撮影された上記写真については、高圧配電線の引き通しには耐塩皿がいしを使用したものとなっており、変圧器の設置には、変台(変圧器を載せる土台のこと)を使用
東京都足立区は中ほどの地域であるが、この辺でもかつては耐塩皿がいしが大いに普及していた。
高圧がいしについては、その後、昭和50年(1975年)前後になると、今度はそれらよりも、より性能が向上した高圧6号中実がいしや高圧10号中実がいしの使用も見かけるようになっていき・・・
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<昭和50年代〜平成10年代>
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昭和の終わり頃からは、いよいよ黒白が混ざり合った10号中実がいしの頂部に放電クランプを載せた「高圧クランプがいし」が登場し始め、以降はそれが主力の高圧がいしとなった。
なお、配電柱の全体的な形としては、その後、平成10年代頃までは、上記写真のような形が基本となっていた。
(柱上変圧器が載ったものによる。)
この時はまだ変圧器を設置するにあたって、変台も併設されていた。
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<平成12年頃〜平成25年頃まで>
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変台がなくなったのは、1998年(平成10年)頃のことのようであり、当時の専門誌には、既に変台のない変圧器の写真があった。
2000年(平成12年)頃にも、早くて私のご近所でも変台を必要としない変圧器が登場した。
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<平成20年代〜平成30年頃まで>
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さらにその後、電線類を支える支持物(電柱のこと)に関しては、平成20年(2008年)頃になると、今度は東京都心や東京23区の下町(文京区)などでは鋼管柱も普及していったが
この時の鋼管柱の根入れは、まだコン柱(鉄筋コンクリート柱)ではなかった。
(パンザーマストではコン柱を使用)
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平成30年(2018年)までは、まだ鉄筋コンクリート柱の新設も目立っていた。
なお、変圧器への高圧引き下げ線を高圧用腕金で直接支持するようになったのは、平成26年(2014年)からである。
その後は、配電柱の避雷対策として、腕金を支持物の最上部に取り付けるようになったが、一部ではアームタイの取り付けもそれなりに普及していった。
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こうして、配電設備も年々進化を遂げており、今では支持物も複合型の銀ピカの鋼管柱(4分の3が鋼管で残った根入れ部分がコン柱)が基本となっている。
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<平成30年〜令和〜>
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(↑※ここからは、高圧は単相交流2線式となったものによる説明となる。)
そして、平成30年(2018年)には、根入れ部分を鉄筋コンクリート柱にした複合型の鋼管柱が普及していった。
今後の支持物はどうやらこれになるようで、郊外の方でも、従来のコン柱からその複合型の鋼管柱に一斉更新されている箇所も目撃している。
なお、支柱に関してもなに構わず、今後はその複合型の鋼管柱を使うようである。
また、配電柱の避雷対策として、最上部に腕金を取り付けるかアームタイを取り付けるかは、地域や周囲の状況によるそうだ。
ここではその避雷対策として、アームタイを配電柱の最上部に取り付けている。
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終端の比較
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終端に電灯用変圧器を設置したバージョンによるが、ここで1960年代の設備と2020年代前半の終端の設備を比較!
ここ60年でここまで変わった!
変わったのは高圧用腕金の長さと、変圧器の設置の仕方などである。
今後は、変圧器の取り付け位置については、例え住宅街であっても、低圧配電線よりも上部に設置するのが基本となるようだ。
そのため、低圧配電線の間隔は、従来よりも狭くしている。
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<基本形の各部名称>
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一番上からグランドワイヤー(架空地線)、高圧配電線、低圧配電線、そしてその下にNTTの電話線類といった感じで配電柱は構成される。
グランドワイヤーは避雷線であり、雷の騙し役といった感じであり、一番高い位置に電気の流れていない架空の線を張り、そこに雷が落ちるように張られている。
しかし、最近はグランドワイヤーは張らず、避雷針代わりとして配電柱の頂部に腕金を取り付けるのが主流のようである。
高圧配電線6600Vについては、三相3線式のものが主流であるが、工場のモーターの動力源(200Vの動力線)を全く必要としない住宅街では、単相2線式の高圧配電線6600Vもよくある。
高圧配電線の下を通る低圧配電線については、動力線は三相3線式の200V、低圧電灯線については、最近では家庭でもエアコンやIHに200Vを使うことが増えてきたから、単相3線式のものが多い。
なお、単相3線式の低圧電灯線については100V以外に200Vも使えるが、単相2線式のものは100Vしか使えない。
ちなみに、昭和の昔は単相2線式の低圧配電線が主流であった。
また、低圧配電線については他に栃木や山梨等では三相4線式の全く別の低圧配電線もある。
詳しい説明については、低圧配電線の構造を参照されたい。
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<両引き留めの各部名称>
配電線には必ず橋のつなぎ目のようにつなぎ目が存在する。
ここでは、その両引き留め箇所についての各部名称について説明する。
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高圧耐張がいしは2枚のねじれたストラップによって支持されている。
なお、その先端にある引き留めクランプカバーについては、現在のアルミ線用と昔の銅線用とで使い分けがなされている。
アルミ線用のカバーが上記写真のものであり、銅線用カバーは長いのが特徴である。
昔と比べると銅線ははるかに減った。
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<開閉器装柱の各部名称>
高圧配電線のスイッチとして開閉器がある。
よくカニのような四角い箱をしたものが柱上にあると思うが、それが開閉器となる。
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旧型の設備の例で
やや近代的な設備の例で
最新設備の例で
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<次いで!基本的な装柱図を!!(上から見た図)>
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本題に入る前に・・・
<抱(かかえ)腕金と単一腕金>
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訂正
×:抱きアーム ○:抱(かかえ)アーム
(東京電機大学出版局の発送配電Uを参考)
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引き留めについては、太い配電線の引き留め等、強度を必要とした箇所では、腕金を2本ずつ取り付けて各腕金を相互で抱合わせた抱(かかえ)腕金が使われている光景をよく目にする。
次いで、腕金を1本しか使わない単一腕金の方は、細い配電線の引き留めで見かけるといった感じである。
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上の図では、引き通し箇所の抱アームについて明記したが、東京電力管内では、引き通し箇所で使われる抱アームは、全体的に見れば、年々減ってきている。(但し、東京の多摩地域は例外。ここでは最近でも新設を見たことがある。)
最近では、引き通しで高圧がいしを2つずつ並べて抱アームにするよりも、耐張がいしを使って両引き留めにし、単一腕金で済ませてしまうことが多いようだ。
↑東京の多摩地域で見かけた、引き通し箇所の抱アームの新設写真
この写真では、高圧がいしの配列がL型金具を省略した新規格配列になっているのが見て取れるが、これはつい最近新設をしたという証である。
参考までに・・・
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<<やり出し(槍出し)装柱の推論>>
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配電の世界、もしくは配電柱マニア間では、上記写真のごとく、全ての電線を片側へ突き出させて高圧配電線を支持した手法をやり出し(槍出し)装柱と呼ぶようだが、実はいうと、当サイト作者もその定義については、よくわかっていない。w
(これまでに戦前物から数々の配電工学系の文献を探ってみたが、そのような名が見つかるだけで、何故、やり出しというのか?そこまでの明確な記載はなく、唯単に「全ての電線を片側に支持するのがやり出し」と書かれているだけであった。)
ちなみに、個人的なやり出し装柱の推論としては、以下のような感じになるかと思う。
しかし、武器である竹やりが配電線の装柱名に使われるとは、そこがまた疑問である。
丁度、戦時中か戦後にやり出しによった配電線の支持手法が登場したから、そのような名前が付いたとでもいうのだろうか?
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柱上変圧器のブッシングの違い。
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←東京電力管内では滅多に見かけないスタッド型ブッシング よく見かける通常のブッシング→
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まずは、初歩の初歩から!電柱に取り付けられているプレートの概要から詳しく説明!
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ミニ講座その1 電柱と電信柱の違い
一緒に見えて、実は2つの意味合いは全く違います!2つのワードが登場した理由をここで説明しよう。
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ミニ講座その2 支持物に取り付けられるプレートの種類
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ここからは、設備面で見る細かい概要を説明がてら紹介!
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まず、配電線って?
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低圧配電線の構造
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1.支持物の種類
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1.支持物の種類
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2.配電用がいしの種類
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1)高圧がいしの種類
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2)低圧がいしの種類
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3.柱上の各設備の種類
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3.柱上の各設備の種類
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4.上部形状の種類・全般
架空地線の支持物の種類から詳しく説明!!
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4-1.架空地線支持物の種類
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4-2.引き留め、両引き留め、振り分け引き留め、真ん中のみ引き留めの種類
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4-3.がいしの配列2:1の種類
電柱といえば、やはり!昔ながらのこの形!!
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4-4.がいしの配列3:0(やり出し)の種類
ここでは、すべての電線を片側へやり出しさせて電線を支持した種類を紹介しよう。
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4-5.Fアーム等、離隔腕金の種類
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4-6.D型腕金(Dアーム)の種類
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4-7.その他・上部の継ぎ足し等の種類
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4-8.都市型配電の種類
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5.変圧器の取り付け方の種類
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5-1.変圧器の取り付け方の種類
低圧本線より下部に変圧器がある場合の種類
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5-2.変圧器の取り付け方の種類
続いて、低圧本線より上部に変圧器がある場合の種類を紹介
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色々な種類をランダムで紹介
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ゴロンディーナーの電柱フォトギャラリー(東京電力の電柱編)
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<その他・昭和時代>
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昭和の配電用がいし・総まとめ!
(過去には国内全国共通)
(↑写真で見える、今は見かけぬ赤い線引きが2本もある高圧ピンがいしは何かって?
それは、送配電ノート 工学博士 前川幸一郎著 オーム社 昭和37年10月30日 第11版発行の65ページをご覧あれ、高圧がいしであることを示す赤い線引きが2本ある高圧ピンがいし引き通しのイラストが載っとるよ)
配電用がいしの種類は、現在では地方ごとに違うものが使われているが、昔はどうやら、全国共通で同じようながいしを使っていたようである。
ここでは昭和を代表する高圧がいし(がいし型開閉器(ダルマスイッチ)や茶台がいし(昔の引き留めがいし)、高圧枝がいしなど)や低圧がいしについての詳しい説明をまとめ上げている。
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昭和中期の配電設備なら
ここでは、1960年代当時に撮られた古いタイプの電柱写真を掲載!
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中部電力管内の配電柱
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同管内では、目立ちにく高圧がいしやパイプアームを使用しており、これまたコスト削減や美化対策に力を入れている。

カバーはグレーになるだけでも結構見た目がいい。
また、低圧配電線に関しては、無駄に張ることはないようである。
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静岡県内を流れる富士川を境に周波数が50Hzと60Hzで分かれているが、その内の60Hz側からが中部電力管内が管轄する電源供給エリアとなる。
なお、配電設備の種類に関しては、電力会社ごとに種類が違うから、東京方面から見ていくと、富士川を渡った後に中部電力に代わるから、がいしが中実がいしに変わる!
(まぁ、個人的に見ると、黒目があるがいし(クランプがいし)が白目(中実がいし)に変わるといった感じだ。(笑))
そして、日々コンパクトになりつつあるのが中部電力の配電設備だ。
アームタイがいらないパイプアームの使用や、茶がいし、グレーのクランプカバーを使う等、環境調和対策に対してはどの電力会社も敵わないと思われる。
また、電線の数は東電管内と比較すると少ないのが見てとれる。
電線がすっきりしているように見えるのは、低圧本線が水平配列であるからだと思われる。
また、低圧本線は基本、長く張らないことも関係していると思われる。
そして、中部電力管内では未だ、他では古いイメージの方が断然高い、ハンガー装柱が健在である。
驚きなことに、今でも普通にハンガー装柱が基本形となっているのだ!
これは、他の電力会社では既に新設はされておらず、見ることは全くできなくなったから、今後もどうか維持し続けて欲しいぐらいだ。
さらに、当時のものとは種類が多少違うが、他にも腕金中央固定での引き留めで、耐張がいしの中央の支持にVストラップを使うなど
高圧茶台がいし時代の名残も残っている等、美化対策に加えて古風な感じも維持し続けており、良い感じである。
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<<基本形で変圧器あり(中部電力管内)>>
(2回線)
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中電管内ではまだまだ、ハンガー装柱を多く見かける。
今もこの形が基本形のようだ。
変圧器の取り付け向きは横受けがやはり主流。正面受けもそれなりに見かける。
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<<基本形で変圧器なし(中部電力管内)>>
(1回線)
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柱上変圧器なしの基本形の例として、茶色の10号中実がいしを使用したものを挙げる。
がいしが白から茶色に代わるだけでも結構見た目が変わる。
まるでチョコレートみたいだ。
高圧配電線を支持する10号中実がいしにはがいしを囲むリングと耐雷ホーンがある。
東電管内では放電クランプを取り付けたクランプがいしが主流であるが、中部電力管内では、これを取り付けて雷による断線事故を防いでいる。
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<<Cアームには角型と半円タイプの2種類あり>>
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同管内では、東電管内では見かけないCアームがある。
これは間隔を狭めたFアームの変わりといった感じだろうか
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ゴロンディーナーの電柱フォトギャラリー(中部電力の電柱編)
中部電力管内の配電柱の種類を紹介!
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