富岡製糸場の年代物構内用廃電設備
撮影年月日:2016年5月8日
世界遺産に登録されたことで記憶に新しい富岡製糸場の構内にも、年代物の配電設備がある。
高圧がいしは、かつての3300V設備を思わすような傘つぼみ形状をした古い高圧ピンがいしや木柱などが残っている。
なお、現在はいずれとも使われてはおらず、死線となった形で残っている。
構内に近づくと早速、支持物に鉄筋コンクリート柱を使用した、1本目の構内用高圧配電線を振り分けている引き留め柱が見えてきた。
しかし今は使ってはおらず、電源側は断線している。
それから、高圧耐張がいしの引き留めクランプカバーについては、東電管内で見かけるものではなかったなかった。
関西電力か中部電力か東北電力のいずれかの仕様に思えた。
なお、現役時は!
構内の入り口付近にある、こちらの東電の高圧配電線より、高圧引き込み線を引き込んでいたようにみられた。
先に進むと、歴史的建造物と共に構内線が続いていた。
こちらは先ほどの入口付近で、1本目として見えてきた、振り分け引き留め柱である。
その次で見えた2本目も同じく、支持物は今現在最も普及している鉄筋コンクリート柱を使用したものとなっているが
構内用高圧配電線は、高圧耐張がいしを使用した両引き留め装柱となっている。
ちなみにここではかつて、高圧引き込み線を分岐していたように思えた。
なぜなら、その下には!
かつて高圧引き込み線を引き込んでいたような形跡が、高圧受電設備と共に見えたからである。
メインの構造物の受電設備として機能していたのだろうか、こちらは重要そうに建物内にそれがあった。
唯、その変受電設備はご覧の通り、人気なし。
やはり興味があるのは自分ぐらいかw
右上の屋根裏には、昭和の傘電も見える。
とりあえず、その高圧引き込み口は反対側にあったようで、高圧耐張がいしを取り付けていたであろう腕金が右側に確認できた。
この感じであれば、以前は錆びついている右下のアングルには、開閉器もあったようなことも考えられた。
その後は、高圧受電設備の建屋の白い壁に取り付けられた6600V用の高圧ピンがいしと、がい管を通って、内部に引き込まれていたようである。
内部はこのような感じになっていた。
昔の高圧受電設備は、屋外式のフェンスに囲まれたもあれば、屋内式の建屋の内部に収めたものもあった。
入口付近は土間となっており、少し雑草が生えていた。
その左側では、担当の電気係の人が休憩できる、ちょっとした座敷なるスペースもあるのだろうか
正面のガラス障子の右手前には、送電日と書かれた黒板があり、その奥では計器類とレバー式のスイッチ類も見られた。
別の窓からは、高圧受電設備内で母線(主要回路)を支持している、専用の高圧がいし類が見られた。
母線支持用では、通常の腕木や腕金に取り付けるものとは違い、ボルト形状はパイプアームに取り付けができる専用の仕様となっている。
なお、こちらの高圧がいしは、内部を3重構造とした3300V仕様の高圧ピンがいしに見られた。
昔は傘つぼみ形状をしたもの以外に、かまぼこのような形をした型もあった。
ここは後者のものが使われているとみられる。
その高圧がいしの詳細は、こちらでも紹介している。
さらに別の窓からは、屋内用と思われる箱型の高圧カットアウトも確認できた。
さて、構内用高圧配電線は、建屋で終わるわけではない。
さらに先へと続いており、この先では突如として!支持物は古い木製電柱が登場!
しかし高圧がいし類は、こちらも全て更新済み。
ここでは、まだかつての3300Vで使用していたような古い高圧がいし類は見られない。(先ほどの建屋内のは除く。)
なお、高圧の下を通る低圧配電線については5本となっていた。
5本あるということは、そのうちの2本は、100Vのみの使用しかできない単相2線式の低圧電灯線、3本の方は200Vの三相3線式の低圧動力線と考えるべきだろうか
それから引き留めの低圧がいしについては、古いものが見られた。
その方は、近代普及の低圧引き留めがいしではなく、低圧茶台がいしとなっていた。
続いて、こちらの分岐先である左側を見ると以下のような感じ。
支持物はもちろん木柱で、構内用高圧配電線については、高圧ピンがいしによる引き通しとなっていた。
そこでは雨覆い付きの旧式のケーブルヘッドが確認できることから、以前はここでは高圧引き込み線を引き下げていたように思えた!
また、その奥ではかつて変圧器が2台あったのだろうか、支持物は木柱で、2本建柱したH柱が見られた。
さらに奥の方では、右側へ向けて構内用高圧配電線を振り分けている。
その方は追跡をすると!
こちらの引き留め柱に向かっているようだ。
こちらも設備は古く、高圧耐張がいしが1個という点には昔の3300V配電を思い起こした。
そして上部では、まだ本線とCVケーブルが接続されていた。
ここでは所々で、旧式の3300V設備や現代の6600V設備が見らた。
それからケーブルヘッドについては、やはり雨覆いが付いている旧式のものとなっていた。
木製電柱の下にあるのは、油入開閉器だろうか
その後は、各変圧器に接続されている。
なお、高圧受電設備については、網状のフェンスに囲まれた屋外式となっており、当時物の年代物設備が残っていた。
キュービクルが普及する前には、屋外式は結構あったことだろうと思われるが、最近ではこうしたものは減少傾向にあり、貴重である。
各変圧器については、1番左側の大型の錆びたものが三相200V用の動力用の三相変圧器であり
次いで、その右側の3つの小さめの変圧器は
左側の1台が電灯用変圧器で、右側の2台が動力用変圧器である。
唯この方も既に低圧側に関しては、立ち上がり線から撤去されており、使ってはいないようである。
さて、ここで再び分岐元へ戻る。
今度は写真手前側方向を追跡してみる。
するとこんな感じだ。
こちらも以前は2台の変圧器があったのだろうか、支持物は木柱でH柱となっていた。
なお、変圧器を載せていた変台については、原型を維持し続けており、ここでは後ろ側で、初めて3300V仕様の旧型の高圧ピンがいしが確認できた
それから写真左手前側では、白の縦長のがいしも見られるが、これは低圧2重がいしに思えた。
そこでは近代普及の低圧ピンがいしを含めて3つあることから、かつてここでは三相3線式の200Vの低圧動力線の立ち上がりをするための動力用変圧器があったように見られた!
なお、変台についてはアングルを使用していたようであり、左側では近代普及の腕金仕様によるものも見られた。
左側はあるとすれば、単相2線式か現在の単相3線式によるもので低圧電灯線があったことだろうと思われる。
反対側より!高圧側の拡大写真はこんな感じ。
変圧器のスイッチ類については、昔のダルマスイッチは確認できず、ここは箱型の高圧カットアウトとなっていた。
次にこちらは、左側の単相交流2線式の構内用高圧配電線方面を追跡!
するとこんな感じ。
こちらは先が入れず、柱上はよく見えないため、変台に注目した。
こちらの変台は、変圧器を2台置くことのできる2台設計となっていたが、単相交流2線式の高圧配電線からは、三相3線式の200Vの動力用変圧器用の高圧引き下げ線は引き下げできない。
よって、ここでは小さな電灯用の変圧器が各1台ずつあったように見られた。
ここで再び、分岐元のH柱へ戻った。
今度はこちらは、写真手前側方向を追跡!
その次では1本、高圧ピンがいしを使用したやり出しによる引き通し装柱があり(撮影し忘れた。)
その先で、富岡製糸場内の構内用高圧配電線は、終点となっていた。
こちらの支持物は、近代的な鉄筋コンクリート柱となっているが、昭和40年代の設備ような面影が少しあった。
なぜなら、高圧耐張がいしは2連仕様で、黒色の引き留めクランプカバーはなく
↑柱上変圧器は、構内では唯一のものである。
他のものは全て撤去されている。
変圧器もまた、ブッシングの先端に赤い丸みを帯びたものが付いているスタッド型ブッシングとなっていたからである。
それから、変圧器を縛り付けているものも古い!何か硬い針金か番線のようなものを使用している。
高圧カットアウトも現代普及の円筒形ではなく、箱型のものである。
この構成が昭和40年代だ。
唯、肝心な変圧器への高圧引き下げ線については、撤去されていた。
<最後に>
構内にある配電設備も、こうして年代物が折角あるのだから、いつまでも残してほしいものだ。
おまけ
屋内では他にも、内線用のナイフスイッチ類も見られた。
さすがは大きい製糸場ということもあり、診療所もあったようだ。

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