東百合ヶ丘の木製電柱・合計4本!!
東百合ヶ丘の住宅街には、今もなお珍しく残り続ける木製電柱がある。(2018年4月現在)
例え街灯がLED照明に取り換えられても残り続けた。
なお、百合ヶ丘での木製電柱の発見は、これが初である。
百合ヶ丘は、1970年代頃に普及した抱腕金装柱などの古いタイプはよく見かけるが、木製電柱の発見数は全くない。
ここの木製電柱は、向かいが長らく月極駐車場で、何ら開発がされなかったことから運良く4本もの木製電柱が残ったのだろうと思うが
その後は月極駐車場だったところの土地が売却され、何軒もの新築の家が建ち始めた。
それでもなお、4本もの木製電柱はいずれとも設備更新されずに、残り続けたのだった!!
これはある意味かなり珍しい!凄い!
基本的には、目の前の家が建て替えると、その目の前にある配電柱も一緒に更新されることが多い。
それでは見てみよう。
全体像はこんな感じ。
1番最初の2015年に撮影に来た時は、既に駐車場だったところの土地が開発され、それに伴い向かいの木柱4本も更新されるんじゃないかと思ったが

遅れて2018年に再撮影に来た時も、運よく残っていたのであった!
しかもここは、新築物件の電源用に、途中で単相交流2線式の高圧配電線がワイヤーによって空中分岐されているのだが
残った木柱達は結構張力があるであろう、その分岐で使われるワイヤーも支持しているのだから驚いた。
まぁ慌てず1本、1本ゆっくりと見ていこう。
最初の1本目はこんな感じ。
高圧配電線は、昔ながらの高圧がいしを2:1に配列したもので、最上部に張られている架空地線支持の腕金も、また錆の色から当時物であるかのような色合いをしていた。
ここで年式の確認と行こう!
と、行きたいところだが、神奈川県内の電柱番号札は、基本的に打ち替えられているから見ることはできない。
ではこの場合、どこを確認するか?
ここを確認する。
番号札の左上のところだ!木製電柱の本体の製造年であろう数字が見える。
製造年というか、それは防腐剤の注入年と言えよう。
なお、ここでは「64」との数字が見えた。
これはクレオソートなどの防腐剤注入後の1964年の完成品だろうと思われる。
足場釘の錆も見るからに、正にその時代のものなのだろうと推測できるのだった。
続いてその下には、恐らく当時の各街灯の振り分け数字であろう、番号が振られている銀色の小さなプレートも発見した。
それもまたマイナスねじで固定されており、そこにも時代を感じるのであった。
(現代の鉄筋コンクリート柱では、このようなプレートは全く見かけないが、木製電柱では、逗子などの他の地域でも見たことがある。
それもここは、テプコ―マークも当時物のようであり、かなり古いものであることがうかがえた。
見ると下には高津とも書かれている。
これは現在の麻生区になる前の地名か?
続いて2本目!
昭和の木製電柱とその右側に、いかにも平成終わりの現代らしい大型のミニバンが止まっている光景との風景は、とても合わぬ。)
こちらも構成は同じ!
2本目の番号札
なお、ここでも同じように、木製電柱本体の製造年であろう数字は確認できたが、他にも情報発見!
まずは木柱に使われている木材の表記を発見!杉のようだ。
加圧式 A これはクレオソートの注入方式の意味合いかと思われる。
次に越井電柱とも大きく書かれている。
「越井」で検索をかけた結果、越井社は現在でも存在する企業であり、明治23年には既に、電信柱(通信線支持のみの電信棒)の木製電柱の製造を手掛けたとあった。
戦後には、越井電柱木材株式会社を設立しており、正に木製電柱の大量生産期に繁盛していたような面影も見られたのだった。
そして、昭和40年(1965年)に、現在の越井木材工業社に社名を変更したようで今に至るようだ。
歴史のある企業みたいだ。
木製電柱の本体の製造年については、昭和40年以前のものであることは、ここではっきりとわかった。
続いて3本目!
ここでは、長年残った木製電柱の凄さを見ることとなる。
それがこれだ!
ここではなんと!単相交流2線式高圧配電線を、空中分岐のワイヤーで支えて分岐しているではないか!
木柱でこのような例を見たのは、今回が初であった。
ちなみにこちらの木製電柱は、次の高圧耐張がいしの両引き留め装柱にあわせて、少し右へしなっているのがわかる。
3本目の上部拡大
こちらも同じくクランプがいしの引き通しである。
こちらも年式を確認してみることに
上が剥がれ落ちそうだが、ここでも同じく越井電柱の文字を発見!
それから、LED照明に取り換えられても、依然として残り続ける木柱時代の外灯番号札も、こちらも残ったままだ。
なお、変圧器の外箱、それから架空地線などにも接続されているアース線については、旧式であるから
ブルーのものを使用し、木箱に収納しながら地中へ引き下がっているのが見えた。
今は赤の接地線が主流である。
そしていよいよ最後の4本目!
今度は高圧上部の構成は変わって、高圧耐張がいしを使った両引き留めの装柱となっている。
木柱はここまでとなっていたから、昔はここで配電線が終わっていたのかもしれない。
4本目の下の方
ここでは枝が切り落とされた跡が生々しく残っている。
書かれていることは同じ。
最後の最後に、次のページでは反対側写真を見ていく。

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