孫惣線を追跡! その5
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この次では
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!?
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驚きの構成を発見!
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高圧耐張がいしを使わず、10号中実がいしの引き通しで無理矢理にでも進路変更するとは!?このようなものは、今回が初見だった。
三島の方だったか、あの辺では東電の設備で同種があった。
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これが22号柱だった。
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続いて、孫惣線の活線区間は、ここで大規模なショートカットをする。
手前側にはそれを行うためのH柱がある。
ここでは、この次の木柱が23号柱であったから、ショートカット用の設備については、後から増設されたということがはっきりとわかる。
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ここでは区分開閉器取り付けて、右側へ向かっている1回線が現在の孫惣線の配電ルートということになる。
23号柱は、この先を追跡した結果、変電設備がある負荷となっていた。
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区分開閉器を挟んで、右へと向かっている現在の孫惣線の配電ルートは、この後は鉱山施設内を通り、大規模なショートカットをしているようだ。
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それにしても、ここはこの横断が凄いこと!
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支持物も凄いところに建柱されていた。
さすがにあんなところだと、鉄筋コンクリート柱を建柱するのは無理であろう
だからここはH鋼を使って、高圧配電線を張っている。
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ここで、現在地を手作りの地図で表すとこんな感じ。
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ここは、この次の柱が昔からあるもので、それが電柱の振り分け番号的には23号柱なのだが
ここではショートカット用に後から追加されたH柱についても
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23号柱となっていた。
建柱年は昭和63年。
大規模なショートカット設備を施設したのは、この時代のようだ。
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元からあった23号柱のプレートはこんな感じ。
こちらは10号中実がいしによる引き通しだった。
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この先は、突然鉱山らしい感じが出てきた。
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さて、次はこんな感じ。
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ケーブルヘッドを取り付けて、CVTケーブルに変換している装柱が確認できた。
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その後はそのまま下にある受電設備へ引き込まれるから、活線区間はここでひとまず終了ということになる。
この先の区間は、先ほどの大規模なショートカットを超えるまでは、しばらく死線のもので古い装柱を次々と見ることになる。
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高圧受電設備内の高圧ピンがいしは古いようで、1962年製のものが見られた。
なお、この型の高圧ピンがいしは、普通の配電線で見かけることはないものだ。
これは高圧受電設備専用のものであろう。
なお、この方の製造メーカーは不明。
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それから現在ある高圧受電設備の後ろには、かつてはここに複数の変圧器を取り付けて、電圧を下げていたのだろう。
廃止された木柱が見られた。
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それでも高圧ピンがいし類は残っており、ここでは変な割れ方をしたものも見られた。
木に引っ張られるなどしたのだろうか、高圧ピンがいしの天切り部分である電線支持点、がすっぽり抜けてなくなっているのが見えた。
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こちらは真っ二つに割れた後は、ボルトが脱落したようである。
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