孫惣線を追跡! その6
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<<孫惣線は、これより死線区間>>
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孫惣線の追跡、ここからは活線区間より切り離された死線(停止)区間の追跡となる。
25号柱からはその区間となる。
しかしここはつい最近までは活線だったのか、支持物は鉄筋コンクリート柱であった。
前のページで見てきた、大規模なショートカット設備ができる前までは稼働していたのだろう。
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ここから先は、現状は放置されているため、蔦が上がるなどしており、荒れ放題
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25号柱のプレート
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続いて26号柱
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ここからは再び、支持物は木柱へと戻る。
高圧用アームもアングルという構成で、明らか昭和の原型物っぽいものが出てきた。
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さて、ここでは新たな発見があった。
それは、高圧のすぐ下に施設されていたと思われる2条の遮蔽線を支えていたがいしについてであった。
低圧2重がいしと思われるがいしは、片方は磁器の部分が外れており、なくなっているのが見て取れた。
また、そのボルトの先端についてだが、ねじ切り形状にはなっていないため、これは低圧がいしであることがわかった。
これがねじ切り形状になっていれば、それは通信ねじ切り2重がいしカップである可能性が高い。
それにしても頑丈ながいしまでをも破壊してしまうとは、自然の力は凄いものだ。
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引き通しの高圧ピンがいしについては、現代の6600V仕様であり、2個ずつ並んだものとなっていた。
自然に朽ちるピンがいしの廃電柱・・・これではとても電気は流せまい。
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下に打ち付けてある「落石注意」のホーラー看板は、時代を感じる。
それから撮影時は気が付かなかったが、左下に落ちているのは、恐らく自然の力で落下した低圧2重がいしの陶器であろうか
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26号のプレート
ご覧の通り、死線区間も特に電線路名に変わりはなく、追跡してきた孫惣線である。
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次の27号柱は、岩との隣合わせで発見!
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岩は無理矢理削って林道を通した感じがした。
いや〜徐々に鉱山路らしい感じがしてきた。
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↑この感じ、実に古い。
まるで1960年代当時の東京都内で見上げたものであるかのようだ。w
それにしても新緑の色がまたいい味を出しており、幻想的にも見える。
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こちらも今後はずっと放置され、自然に朽ちることであろう。
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高圧配電線の両引き留めをしているのは高圧耐張がいしであるが、こちらも変わらず、昔の3300V設備であるかのような1個ずつの取り付けである。
しかし高圧ピンがいしだけは、現代の6600V仕様である。
孫惣支線1号柱では、定格電圧6600Vの柱上油入開閉器を発見しているから、実際の電圧は6600Vであることがうかがえるか?
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それから高圧電線については、被覆のない裸電線が使われている部分にも時代を感じた。
しかしジャンパー線には、黄色い被覆が付いているのが確認できる。
それから線の種類は銅かアルミか?どちらだろうか
ここは銀色っぽいからアルミ線だな。
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こうしてみると、27号柱の木柱の背は、少し高そうだ。
それから電力線(強電)は死線になっても、電話線(弱電)の支持については、今でも使用を継続しているようだ。
あの先ほど見られた、大規模ショートカットとは併架させていないようだ。
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ここでは、高圧耐張がいしの2枚の直線ストラップも、尖がるように長くなっているから1960年代らしさがした。w
でも、建柱年はどこも昭和48年(1973年)と書かれている。
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27号のプレート
右側には、高圧用アングルのアームタイから下がってきている赤いアースが見えた。
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横はこんな感じ!
後ろにある岩肌がまたいい鉱山らしさを出していた。
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高圧のすぐ下にある箇所では、低圧茶台がいしが残っていたが
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割れていた。
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下はこんな感じ。
アース線は木箱には収められておらず、そのまま引き下がっていた。
こんな山奥なら誰も触る可能性はないとは思うが、一応ここは安全を持って木箱も付けた方がいいと思った。
それと、足場釘は昇柱した時があったのだろうか、もしくは大きな岩が落ちてきたのか、へし曲がっているのが見えた。
(いや、そんなことでへし曲がってちゃ・・・)
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斜め反対側写真はこんな感じ!
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さらに反対側!
電話線は、手前にある岩に接触しているような。
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