孫惣線を追跡! その10
しばらく進むと、ここでまた林道 孫惣谷線のキロポストの標識を発見
ひえ、まだ1キロしか進んでないのかw
こんな山奥でも保安林であることを示す看板が
昭和58年(1983年)度とあった。
その時代までは、車両の通行も普通にできた感じか?

1キロポストの周囲風景はこんな感じ。
林道には、ガードレールがないところもあり。
それから雲行きが怪しいな。
夕立にならなきゃいいが・・・
雷まで鳴り出したら危険だ。
木の下にいても人に落雷するからな。
と、ここでオロセ尾根への登山道と思われる木道発見!
しかし、登山の知識がない私にとっては、入った後遭難しそうだ。とても登ろうとは思わない。
現在地はこのような感じ。
そして、こちらの方はどうなっているのかというとw
(オロセ尾根への登山道から約500メーター付近で撮影)
こりゃもう木の一部になってしまっていますな
それが46号柱であった。
46号柱を超えたすぐ先にあった1.5キロポスト標識
この次が47号柱となるが、こちらはそのまま来た方向では、上部が木に包まれており、見えなかった。
振り返って撮った。
こうして見ると、やはり高圧のすぐ下にあるのは、単相2線式の100Vにしか見えない。
だがここは、林道の途中に外灯なんて一切ないし、高圧電線も当初は裸電線だったらしいから、その2条の線は電灯線などではなくて、遮蔽線だと思うのだ。
今ではすっかり、上部は、唯自然に飲み込まれるのみだった。
それでその次の48号柱は、いかにも昭和らしさ感が感じ取れるものだった!
大きな支柱を傾けたものが初めてここで見えてきた。
だが、こちらも来た道からのアングルでは見えないため、急接近した。w
いや〜これは初めて見たなぁ!背も高いし!
後から「配電教室」という昭和33年9月20日初版の前川さんの古い文献を調べてみてわかったのだが、木製電柱で1番長いものは、18メーター級もあったようだ。O_o
(※ちなみに運がいいことに、その本もまた2016年に手に入ったのだった。それもこの撮影を終えた8月だった。)
引き通しの高圧ピンがいしは、高圧配電線が多少の角度を振っているため、2連による引き通しとなっていた。
また、それに伴い、高圧用アングルも抱アングルとなっていた。
支柱については、とても幅広いことがここからもうかがえたのだった。
多分現代では、もうここまで長い支柱はなかろう。
木製電柱(木柱)時代だからこそ!見られた光景なのだ!
いやはや、戦前からあるようにも見えなくもない?
48号柱のプレート
疲れたのでここで一旦休憩!
水分補給しながら上を見ていたら
キツツキが穴をあけたのだろうか?支柱には複数の穴が確認できるのだった。
さて、そろそろ行くか
反対側はこんな感じ!
本当にこの木柱は長かった!
それにしても、ここまで長いものを、どうやってこの細い林道を通って運んできたのだろうか?
そこもまた疑問に感じた!
なお、抱アングルは、相互間を固定するボルトが外れてしまったようで、片方は曲がって付いているのだった。
今はこの木柱は、電話線の支持のみで活躍するのみだ。

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