松山市の木製電柱
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四国電力管内での木製配電柱の撮影は、これが初の撮影となった。
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松山市内では、他にも木柱を何本か発見していたが、既に残っていたのはこちらの隣合わせである2本のみで、他は皆今頃になって、鉄筋コンクリート柱に更新されていたのであった。
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なお、当初はここに
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変圧器への引き下げ線支持用として、筒形の旧式のがいし(東京電力管内では、これを耐塩高圧引き下げ用支持がいしという)が取り付けられていたのだが
(木柱でそのレアながいしが取り付けられているのはかなり珍しいと思いきや、電車でここまで片道8時間かけてまで来たのだがw)
残念ながら、そのがいしは変圧器の更新に伴い、撤去されていたのであった。
なお、そのがいしがあったのは、黄色○で記した部分になる。今は普通の高圧がいしに取り換えられている。
まぁ、古い木製配電柱自体は無事に撮影はできたから、よしとするかw
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高圧上部については、一部は高圧耐張がいしが配電電圧昇圧前の3300V時代の1連のままだったり、中央の高圧耐張がいしについては、大きなVストラップを用いたり、そこまた、高圧茶台がいし時代の名残がある。
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なお、最下段で右の方向へ高圧線を張っている方のアームについては、かなり古い角材のアングルである!
これまた古い。昭和30年代頃の設備を思い起こす。
東京電力管内では、木製電柱を発見できたとしても、やはりここまで古い生きた化石は見ることはできない。w
地方だからこそ、残った光景なのだろう。
さて、年式の確認といこう!
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どうやらこれは、昭和33年(1958年)式で間違いなさそうだ。
次いで、上に大きくある共用の文字については、丁度、配電線(強電線)と電話線(弱電線)の併架が始まった頃の名残かと思われる。
昔の絵葉書を見るとわかるが、昔は配電線と電話線類は、誘導障害防止の観点から、それぞれ別々に支持をしていた。
2つを同時併架するようになったのは、昭和20年代からである。
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次いでその下は、電電公社時代の電話幹線のプレートも残っているとでもいうのだろうか、こちらも時代を感じる。
さて、さらに別アングルからの撮影を行いながら、隣り合わせで残るもう1つの木柱へ向かう!
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ここから見ると、右の配電線の方が一番長いので、少し右へしなっているのがわかる。
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トランスだけ最近更新を行ったので、そこまでのリード線を支えている腕金だけ真新しい、後は当時物だろうか錆が激しい。
なお、上から2段目にある高圧用腕金には、鳥の巣が作られぬよう、黄色のプロペラが備えつけられている。そこもまた真新しい。
後はジャンパー線にグレーのカバが被せてあるぐらいである。これも鳥に対する安全上のものだろうか?
接続部は塩害でカバーが劣化する可能性があるからなのだろうか?
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一方で、低圧配電線の引き留めには、昔の配電線の引き留めで使っていた、茶台がいしも確認できた!
電力会社の設備でその手の昭和のがいしを見たのは、今回が初である。
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現在の低圧引き留めがいしと昔の茶台がいしとの比較はこんな感じである!
茶台がいしは、湯のみを乗せる茶台に形状が似ていることからそのような名前が付いている。
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さて、2本目!こちらは昔の平屋のアパートと一緒に昔っから残ったように見受けられる。
なお、偶然残った木柱はここまでで、次からは普通に真新しい現代の鉄筋コン製の配電柱となっている。
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なお、こちらは木柱の根元については、車がぶつかってもへし折られるということがないよう、コンクリートで一応補強がされていた。
東電管内ではこういうのは見かけていない。四国電力管内限定であったのだろうか
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さて、ここで再び上部を!
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高圧配電線は、高圧10号中実がいしによる引き通しで、それを取り付ける腕金は中央に固定されているといった感じである。
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さて年式を!
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んん?ここは西暦表記か?
低圧用腕金の錆を見ると、そうであろうことがうかがえる。
1956年(昭和31年)でこっちの方が古い模様
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一方こちらは、その下にあったNTT(電電公社時代)の番号札
この辺に電話が引かれたのは昭和45年のようだ。
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最後は遠くから撮っておしまい。
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こうしてみると、さっきの木柱は大分背が低いことがわかる。
木製電柱時代は、こうして電柱の高さに大差あった。
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