小田原の木製電柱 その1
<鳥居型付きの木柱>
小田原市も、まだまだ探せばざっくざくと木製電柱が見つかる。
まずはこちら!
東海道新幹線の小田原駅から見えるものである。
架空地線支持についても、もちろん昭和を思わす鳥居型!
高圧配電線は、高圧耐張がいしを使用した両引き留め装柱という構成
さて、年式の確認と行こうか
見えづらいが、恐らく昭和42年かと
<2本連続の木柱>
さて、こちらも同市内で撮影したものであるが、ここでは2本連続での発見となった!
最初の1本目がこれだ。
基本形での発見となった。
なお、パーツに関しては、ここでは当時物が複数見つかった。
昭和のノスタルジーが味わえるパーツといえば、頂上にあるかさ金キストラップぐらいであろう。
かさ金については、主に雨水による木柱頂部の腐朽防止のために使われていた。
まぁこれは、今の鉄筋コンクリート柱でも架空地線キャップがない場合でよく見る。
鉄筋コンクリート柱も案外、頂上については、長い間雨水にさらされてしまえば削られてしまうのである。
キストラップは、高圧用腕金を支えているアームタイとその下にある動力用腕金を固定するために使われているものだった。
主に動力用腕金のずり落ち防止のためのものかと思われる。
ちなみに戦前設備では、高圧用腕金と低圧用腕金は、アームタイで固定していた。
ここの木柱は道幅が狭いため、ずっと残っていたようにみられた。
ここまでの道幅となれば、車は入れないから工事は手間がかかりそうだ。
1本目の年式は、1971年(昭和46年)とあった。
この年代であれば、市中では既に鉄筋コンクリート柱も普及していたであろう。
これは街灯の番号のプレートに思える。
それからここは、アースを引き入れている箱も木製である。
まぁでもそれは、鉄筋コンクリート柱でも見た例があったか
続いて2本目がこちら
高圧上部の種類は変わって、高圧配電線を両引き留めとしたものになっていた。
年式はこちらも変わらず、1971年とあった。
なお、アースを引きれているのは、こちらは箱ではなかった。
それから変圧器は、電灯用のものが1台ある構成となっていた。
その取り付け向きについては、高圧配電線と並行になるようにして取り付けられている。
東電では珍しい向きである。
最後に見ていて思ったが、よくよく見てみれば!奥の引き通しは、カーブのため、あえて高圧用腕金を建物側へ向けさせた旧式であった。
今の設備であれば、ここは右側へ向けると思うが、昔高圧配電線の曲線角度が0°から30°以内の場合は、よくこの手法を用いたようだ。
それ以上の場合は、当時は高圧茶台がいし(昭和35年以前)や高圧耐張がいし(昭和35年以降)を使って両引き留め装柱としていたようだ。
なお、現代ではそういうことはせず、離隔腕金を使って最大限に高圧配電線を建物から引き離したり、Dアームを用いて高圧配電線の横幅を狭めて引き離したりしているから、そう簡単には見つからない。
参考文献:最新の配電技術 昭和26年2月25日 電力社刊行の172,173ページ

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