昭和の配電用がいし・総まとめ!
ここでは、昭和初期〜昭和中期までを中心に使われていた昭和の古い配電線で使われていた配電用がいしについて紹介していく。
なお、現代では、電力会社毎(地方毎)に違った種類の高圧がいしを使うことが主流となっているが、当時の高圧がいしについては、どうやら全国共通で同じようなものが使われていたようである。
<<<高圧配電線の引き留めをする昭和の配電用がいしの種類>>>
高圧引き留めがいし(高圧茶台がいし)の種類
高圧引き留めがいしは、現在の高圧耐張がいしが登場する前の昭和初期〜昭和30年代までを中心に高圧配電線の引き留め箇所及び分岐箇所に使われていた。
別名、高圧茶台がいしともいい、湯のみを置く茶台に似ていることからこの名称がついたものかと思われる。茶台がいしには他に、後述で紹介の低圧茶台がいしもある。
高圧がいしであることを示す赤い線引きの引き方の種類については、戦前、もしくは戦時中のものは全体が赤塗り、戦後のものになると、赤釉を上面に2箇所か1箇所施したものがある。
(メーカーによっては1920年代のがいしに線引き2本のものも実在していたようであるから、その辺りは結構曖昧でもある。)
なお、種類については、特大、大、小と3種類あり、特大は配電電圧6600V設備に、大と小は配電電圧が昇圧される前の3300V時代に3300V設備で使われていたようである。
そんな高圧茶台がいしだが、今では花立用のアンティークとしてよく売られている。
<<高圧引き留めがいし>>
(高圧危険を示す赤がほぼ全体に渡って塗られているか、赤い線引きが2本ある仕様)
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昭和20年代製造のものでは、この手のものが普及
高圧がいしであることを示す赤い線については、全体赤塗仕様や上記写真のごとく、赤塗りの面積を通常より広げたものがある。
なお、この当時は、大きさによる種類は他にもあったのかどうかは不明
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香蘭社製造・製造年不明
製造年がないものは、大分古い証拠
こちらは赤い線引きが2本仕様
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<<高圧引き留めがいし>>
(高圧危険を示す赤い線引き1本の近代仕様)
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高圧引き留めがいし(高圧茶台がいし) 特大
公称電圧6kV
上端幅160mm
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高圧引き留めがいし(高圧茶台がいし) 大
公称電圧3kV
上端幅130mm
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高圧引き留めがいし(高圧茶台がいし) 小
公称電圧3kV
上端幅110mm
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入手できず写真なし。形状は一緒
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特大は、配電電圧昇圧後の6600V設備に使用していたようである。
高圧耐張がいしが普及し始めた1960年代頃まで使われていた。
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大は主に、配電電圧昇圧前の3300V設備で使われていたようである。
なお、これについては、高圧であることを示す赤色の線引きは2本あるものも実在する。
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小は主に、配電電圧3300V設備に使われていたようである。
昭和初期は全体が赤色系の色に着色されていたものも実在していたようである。
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高圧引き留めがいし比較写真
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<<高圧引き留めがいし>>
(赤色に加えて茶色もあり)
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高圧茶台がいしについては、目立ちにくい茶色もあったようだが、こちらは通常仕様に比べると、数は限りなく少ない。
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高圧引き留めがいしの使用例
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高圧配電線の両引き留め箇所で使われる高圧引き留めがいしの例
上下に2枚の直線ストラップを用いて腕木に取り付けていた。
分岐箇所で使われる高圧引き留めがいしの使用例(下段)
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そしてこれは、名称不明
(引き留めがいしの一種か?)
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↑松風工業(松風陶器合資会社)製でも確認!
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引き留めがいしについては、他にこのようなものを使われていたようであるが、このがいしについては詳細が載っている文献がなく、名称からして不明である。
唯、がいし自体には、製造メーカーによっては、高圧危険である赤い線引きが確認できることから、これは高圧がいしなのではないかと思い、ここでの掲載に至った。
特徴についてだが、がいしの中央には穴が開いており、ここにボルトを差し込むことで、屋内で天井から逆さにして電線を支持することができたようである。
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高圧耐張がいし・初期型
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これは、高圧茶台がいしがまだ普及していた昭和35年頃より、現在の高圧耐張がいしと合わせて普及していたようである。
普及時期はかなり短期間であったようであるが、このような3つの溝のあるがいしも高圧耐張がいしであるということが1963年版の日本碍子要覧に載っている。
(一方、他の配電工学系の文献については、一切このがいしに関する情報は確認していない。)
なお、用途については、高圧茶台がいしでは支えきれなかった、川や山の谷などの横断箇所の配電線の引き留めで使われていたようである。
性能については、次項で紹介の高圧耐張がいしよりかは、多少引張荷重は低くなり、また表面漏れ距離も短くなるなど、若干劣る。
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高圧茶台がいしがまだ普及していた頃に、普及時期はかなり短期間であったようだが、現在の高圧耐張がいしと合わせて普及
現代の高圧耐張がいしのように、引き留めクランプ取り付け部分は上下で直角仕様になっているのが見て取れる。
また、がいしは1個で済むので、取り付けについては、かなり容易であったことがうかがえる。
なお、製造メーカーは歴史ある松風工業製のようで、製造年は1964年(昭和39年)2月を示す。
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高圧耐張がいし
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昭和35年(1960年)頃に登場し、現在に至るまで幅広く、今ではほとんどの電力会社で使われている。
昔は1個連を3300Vの高圧配電線用に、2個連を6600Vの高圧配電線用に使い分けをしていたようであるが、3300V設備を見かけなくなった現代ではそうみなくなった。
1連の耐張がいしを見かけるのは関西電力の古い配電線や鉱山などに残っている昔の廃電設備ぐらいである。
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1960年製の高圧耐張がいし
外では1961年製を見たことがあるが、今回はそれよりも古いがいしを手に入れた!
メーカーは日本ガイシ製で旧ロゴ
使用例
(限定地区のみ確認の旧式の取り付け手法)
外で見た同社製で1961年製!
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<<<高圧配電線の引き通しをする昭和の配電用がいしの種類>>>
高圧ピンがいしの種類
昭和の代表格の高圧がいしといえば高圧ピンがいしであるが、実はそれが確立される前には、通信用のがいし(通信ねじ切りがいしカップ)を高圧用に応用させたものも普及していた。
ここでは初期の高圧ピンがいしを含めて、幅広い種類を見てゆく。
高圧3重がいし
(希少度No.1)
高圧がいしの代表格といえば、後述で紹介の高圧ピンがいしであるが、実はそれ以前にも高圧3重がいしというものが実在していた。
これは高圧ピンがいしが確立される前の高圧がいしである。
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高圧ピンがいしが確立される前には、通信用のがいしを応用させたようなものが普及していた。
文献によっては、これも高圧ピンがいしと呼んでいるものもあるが、正しくは高圧3重がいしであると思われる。
がいしを着色する色については、高圧がいしであることを示す全体赤塗りのものや赤い線引き1本、中には全体白色や茶色(鳶(とび)色)もあった。
他には形が酷似したもので、後述で紹介している低圧2重がいしもあるが、こちらはそれとは違い、内部の溝が3重になっているのが特徴である。
なお、3重になっている理由は、当時の配電電圧3300Vに合わせたのかと思われる。
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大正期に、高圧配電線の引き通しや変圧器への高圧引き下げ線支持用として使用
がいしの上部には、天切りはない模様
(※天切りとは、がいしの頂部で電線を支持できるように削った溝をいう。)
内部は3重構造
変圧器への高圧引き下げ線支持用として使われる、茶色の高圧3重がいし
変圧器への引き下げ線支持用として使われる茶色の高圧3重がいしの拡大
その用途で使う場合は、木柱に曲がりピンをねじ込むことで固定することができる、曲ねじ込み仕様を使っていたようである。
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初期の高圧ピンがいし・その1
(希少度No.3)
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これは形状が10万ボルト以上の特別高圧ピンがいしに酷似していることから、初代の配電用の高圧ピンがいしであるものかと推測
なお、これまでかき集めてきた配電工学系の文献には、このがいしに関する一切の図面と説明なし。
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高圧ピンがいしの初期型かつ原型に相当するものと思われる。
こちらは松風工業製造
※松風工業社のがいしは、今では全く知名度は低くなってしまったが、かつては、日本のがいし製造3メーカー大手の1つであった。
また、明治150年記念「日本を変えた千の技術博」にも展示される程、歴史のある高圧がいしの製造メーカー!
なお、現在は、がいしの製造は手がけてはおらず、人口歯の製作を手掛けている。
がいしにある「KYOTO」の文字については、製造工場が京都にあったことから印字されている。
その下にあるAI 63はよくわからない。
ちなみに松風工業製のがいしについては、西暦表記ならぬ皇紀表記もあるようだが、これは型版だろうか
この形だと、1963年製であるということは、考えられない。
磁器がいしとねじボルトの固定については、通常のセメントではなく、特別高圧ピンがいしのように、金具によって固定?
そして、こちらは神岡鉱山にもあるという、赤い線引きが2本ある初代の高圧ピンがいしのイメージ
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これは、66kV以下の架空送電線路支持用としてかつて使われていた特別高圧ピンがいしに形状が酷似していることから、配電用高圧ピンがいしの原型にあたるものかと思われる。
なお実際に、岐阜の神岡鉱山には、1920年代のイワブチ製造のもので同様の高圧ピンがいしを確認したとの情報もあり、そちらは赤釉による線引きが2本ある模様。
私はこれまでに、数々の文献を読んできたが、戦前の文献であっても、これについてのはっきりとした記載は確認できなかった。
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ちなみに、昔々の木柱による送電時代に使われていた特別高圧ピンがいしは、上記写真のものとなっている。
形が明らかに似ていると思う。
恐らくだが、初代のピンがいしは、特別高圧線で使っていたピンがいしを真似して、配電線でも似たような形状のものを使う傾向にあったのだろう。
一方で同時期には、以下で紹介のものも使われていたようである。
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初期の高圧ピンがいし その2
(希少度No.2)
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高圧配電線路の引き通し、もしくはジャンパー線支持用として使われていたであろう、初期型の高圧ピンがいしの種類については、もう1種類このようなものがある。
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白い磁器部分は3重構造であるから、これまた初期型の高圧ピンがいしの1種であったのがうかがえた。
また、かつて赤い線が引かれていたことが小さく確認できたことから、そこからも高圧がいしであることがわかる。
実際に普及している光景については、関東地方のエリアでは、全くこの手のがいしは見たことがないが、神岡鉱山付近の廃村では、一部確認されたとの情報あり。
これについては、赤い線引きがあって、正真正銘の「高圧がいし」であるということがはっきりとわかるものも入手できた。
こちらの製造年は1937年(昭和12年)で、イワブチ製であった。
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母線用支持用の初期の高圧ピンがいし
(現在の6kV屋外支持がいしに相当・高圧受電設備での母線支持で使われる。)
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初期の高圧ピンがいしについては、他にももう1つあり、高圧受電設備や変電室の母線支持用で使われるものがある。
なぜこれがその用途のものといえるか?がいしの取り付け金具の形状が特殊であるからだ。
この型については、いずれともネジ留め固定式のようであり、高圧受電設備や変電室内で、パイプアームに取り付けて使用していた。
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こちらは分社前の日本陶器(現:日本ガイシ)のロゴが確認できることから、大正〜昭和初期のものかと推測される。
ロゴについては分社後、大正14年(1925年)頃までは全部で5種類(三角形のマークのみカウント)あったようだが、昭和初期頃には1つに統一されたようである。
さて、内部の構造であるが、かつての3300Vを思わず3重構造となっていた。
高圧配電線:3300V、低圧動力線:200V、低圧電灯線:100Vと、各配電電圧が揃えられたのは大正4年頃のことだったらしい。
これについても、古いものでは茶色がある模様
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高圧ピンがいし その1(傘つぼみ形状)
((高圧1号ピンがいし))
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<大きさによる種類・大>
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この種の高圧ピンがいしの大きさによる種類は全部で3つある。
一番大きいものが横幅の傘が120mm(6600V用が実在)、中が115mm、小が102mm(後者2つは3300V用)となっているが、製造メーカーによっては製造していないところもあった。
(形状違いは除く。)
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初代の特別高圧ピンがいしに形状が酷似したタイプの次に登場したのが、こちらの傘形状型の高圧ピンがいしだ!
この高圧ピンがいしは、配電電圧3300V時代に数多く使われていた。
昭和3年に登場し、現在の配電電圧6600Vに昇圧後の昭和38年頃まで普及していた。
用途は高圧配電線の引き通し、ジャンパー線の支持、変圧器への引き下げ線支持用として、全国規模で広範囲で普及していたようである。
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シングルヒダで全体赤塗り
(戦時中もしくは戦後の昭和20年代に一時期普及)
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シングルヒダで赤釉の線引き1本
(昭和初期〜昭和30年代頃まで普及)
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裾広がりでダブルヒダ
なお、この写真では消えて見えないが、赤釉による線引きは2本ある。
シングルヒダと同様に、昭和初期から普及
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全体赤塗仕様の高圧ピンがいし
こちらの製品は、磁器部分であるがいしとボルトが硫黄で接着されていた。
古いシングルヒダの高圧ピンがいし
ネットではよく、鉱山だとか廃墟だとかの廃電設備で見ることが多い。
半分割れているが、ダブルヒダの高圧ピンがいしになる
ダブルヒダ(傘片となった溝は2重)の赤色線引きは、2本と決まっていたように見られる。
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高圧1号ピンがいし・裾広がり仕様!
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続いて、こちらも同じく高圧1号ピンがいしとなるが、こちらは若干、裾が広いのがわかる。
これについては、製造メーカーごとに若干誤差があった結果なのかと思われる。
一方、半分割れているものも入手できた。
内部構造はこんな感じである。
がいしに接着するボルトは、セメントか硫黄を使って、固定していた。
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一方!同一製品で茶塗仕様も!
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近代のがいしはそのままの白い磁器がいしが多いが、かなり古いものでは、全体赤塗や茶色もあった。
こちらはその中で、全体茶塗の仕様となる。
日本ガイシ製造!
(※私がマツコの知らない電柱の世界に出演した際、1920年代の高圧ピンがいしを見ても対して興奮しなかった原因はこれです。日本ガイシさん製造のもので、既に似たものを所有しているからw)
がいしの中ほどには、型版らしきカタカナ表記の確認もできた。
一方こちらは、香蘭社製品でボルトが曲がった仕様である。
変電所の引き出し口付近で使われていたのだろうか?
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1920年代製造の初期型のものでは、全体赤塗の同一製品も実在するが、その一方、中には全体茶塗のものもある。
それがこれだ。メーカーは見てみると日本ガイシ製のようであった。
なお、茶塗については、主に変電所で使われていたようである。
これについては、足尾銅山の変電設備でも確認している。
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高圧ピンがいし その1(傘つぼみ形状)
((高圧1号ピンがいし))
曲がりねじ込み仕様!
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<大きさによる種類・中>
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当時の変圧器への引き下げ線支持用として使われる高圧ピンがいしについては、普通の仕様に続いて、後述で紹介の高圧枝がいしというものも使われていたようであったが
中にはこの手の高圧ピンがいしのボルト部分を捻じ曲げて、腕木にねじ込む仕様のものも普及していたようである。
但し、この手のものは、見かけることは極めて少ない。
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これがそれである。
さて、高圧がいしであることを示す赤色の釉薬についてだが
左から順に、かつては全体赤塗であったものが色落ちして消えたものと、その右側に元の色が残った状態のものを比較
なお、大きさの比較については、普通のものと比較してみると、明らかに曲ねじ込みボルトの方が磁器の部分が少し小さいのが見て取れる。
おまけに、がいしとボルトの接着については、硫黄で行われているのが確認できた。
昭和20年代頃の配電工学系の文献によれば、こうしたがいしとボルトの接着については、低圧ピンがいしまでは硫黄での接着が認められていたようだが
高圧がいしの接着に硫黄を使うというのは好ましくないというのを確認している。
唯、この高圧ピンがいしは曲ねじ込み仕様で、1方向のみに重みがますためか、例外として軽量の硫黄を採用したように見られる。
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<大きさによる種類・小>
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一番小さい大きさのものになる。
一見は、近代仕様の高圧ピンがいしかと思っていたが、よくよく形を見ると、3300V仕様の旧型であるのが見て取れた。
また、後期品のためか、形と赤い線引きも、近代仕様に近い形でしっかりしている。
なお、今回は、がい管が付いた状態での入手となった。
用途については推測によるが、木柱に近すぎた建物へ高圧引き込み線を建物内へ引き込むのに使っていたか、もしくは建物の木の壁にねじ込んで使用
もしくは低圧曲がりねじ込みがいしでは強度不足となる懸念があって、その代用として使われていたことが考えられる。
がい管の部分は建物の壁の中に入れ、電線を引き入れる。
3種類あるうち、一番大きいものとの比較
3300Vの高圧ピンがいしについては、これまた製造メーカーによるが、大きさによる種類は一応3種類あったようである。
一番小さいものが傘の横幅が102mmとなっている。
1958年(昭和33年)製の後期品のためか、がいしの磁器部分と曲がりねじ込みボルトとの接着は、セメントで行われているのが見て取れた。
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高圧ピンがいし その2
((高圧2号ピンがいし))
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こちらもついに!実物を入手した。
1955年(昭和30年)カワソーテクセル製造
中は3重構造
割れたものとなるが、日本ガイシ製造も!
製造年の印字はなし。
一方こちらも!似たようなものでやはり茶塗仕様がある模様!!
茶塗は変電設備で普及か?
足尾銅山にて発見!!
製造メーカーは香蘭社製
他には松風工業(松風陶器合資会社)の製造品も
この方はボルトが大きめでがっちりしており、ボルトもまた六角ボルトであった。
磁器部分である下の方が少し突き出たものもある。
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傘つぼみ仕様の高圧1号ピンがいしと同じく、かまぼこのような形をしたこちらの高圧2号ピンがいしも、高圧配電線の配電電圧がまだ3300V時代だった昭和30年代頃まで使われていた。
(詳細をいえば、高圧2号ピンがいしについては、戦後の応急復旧用がいしとして、昭和20年以降より普及したようである。)
用途も同じく、高圧配電線の引き通し、変圧器への引き下げ線支持用と、さまざまな箇所で普及していたようである。
これについても、全国規模で確認している。
因みに、上記右記写真は親戚から提供して頂いた写真であり、小笠原諸島にある発電所跡地で確認できたものだという。
茶色のものは足尾銅山の通洞変電所の引き込みで確認できたものである。
なお、高圧受変電設備で使われるものについては、茶色のものが使われることもあったようである。
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高圧ピンがいしの使用例
(基本的な種類のものが全種揃う。)
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使用例を示せば以上の通り
昔は高圧線を支えるアームに腕木を使い、腕木に穴をあけて、そこへ高圧ピンがいしを差し込んでいた。
唯、腕木は風雨にさらされることで損傷が激しく、木柱との固定部分がよく腐っていたそうな。
なお、この木柱には、上記で紹介した旧型高圧ピンがいしのほとんどが取り付けられている!
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<<詳細不明の高圧がいし>>
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他には、このような見知らぬ高圧がいしも見つかったが、文献には一切、この手のがいしについての図や情報がないことから、これはメーカー独自の規格品
もしくは、九州電力管内でかつて普及していた旧規格品であったことがうかがえた。
なお、がいしの磁器部分の形状としては、送電で使われているスモッグがいしに似ていることから、塩害対策品として、表面漏れ距離を長くしたようにみられる。
製造メーカーについては藤津碍子社製造品で、製造年については1962年(昭和37年)製であった。
こうしたことから、九州電力管内で、かつて普及していたものになるものかと思われる。
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詳細不明の未知の高圧がいし
磁器部分の形状としては、送電でかつて使われていたスモッグがいしに似ている。
ちなみにその送電で使われていたというスモッグがいしの写真は、上記の通りである。(おまけ)
これはかつての昭和41年(1966年)前後に、東京電力管内の送電線で使われていた。
なお、こうしたスモッグがいしも初期型は初期型で、ヒダを増やしたものがある。
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<<<変圧器への高圧引き下げ線支持の高圧がいしの種類>>>
高圧枝がいし
これは昔、変圧器への高圧引き下げ線支持(特に引き回し箇所の専用線支持)用として使われていた。
変圧器への高圧引き下げ線支持については、昔から高圧ピンがいしを使うのが主流であったが、これとは別に曲ねじ込み形状をしたピンを取り付けた高圧枝がいしも実在していたようである。
高圧枝がいしのねじボルトは、曲がりねじ込み仕様になっているのが特徴で、木柱に直接、曲がりピンとなったねじボルトをねじ込むことができるから、腕木の使用も多少省けたようである。
唯、近代では、配電線の支持物も、完全に鉄筋コンクリート柱になりつつあるから、まず現代の配電柱で見かけることはなくなった。
あるとすれば、神岡鉱山付近の廃村で使われていたとの情報がある。
次いで足尾銅山では、曲ねじ込み仕様のピンを使った高圧枝がいしの使用を複数確認している。
なお、ねじボルトの形状については、曲がりピン以外に、通常の直線仕様のねじボルトもあるようだ。
高圧枝がいし
(希少度No.4)
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校枝がいしの形は、独特な形状で、先端がとがっているのが特徴である。
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がいしのねじボルト部分が曲がりねじ込み仕様となったもの
これが高圧枝がいしの主力であった。
なお、製造メーカーについては、日本ガイシさんの製造品である。
同じく高圧枝がいしとなるが、こちらは那須電機鉄工さんの製造品
メーカーによっては、若干形状が違うことがわかる。
こちらは磁器部分に丸みあり。
一方こちらは、高圧枝がいしだというのに、ねじボルトが通常の直線仕様になっているものになる!
高圧枝がいしのボルト形状は、曲ねじ込み仕様が多いと思うが、こちらは普通にボルトが直線仕様になっていた!
製造年はかなり古く1953年(昭和28年)とあった。
他には、直線ボルトで途中で大きく湾曲しているものもあった。
なお、こちらについては、結構な後期の製造品であった。
製造年は1966年(昭和41年)製造とある。
東京電力管内では、もうこの時には既に高圧枝がいしの使用は取りやめて、高圧ピンがいしの使用が基本だったと思うが
どうやら地方では、まだまだこの手のものが変圧器への高圧引き下げ線の支持で使われていたようだ。
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高圧枝がいしは主に、変圧器への高圧引き下げ線の支持用として使っていたようであるが、他には高圧立ち上がり線や高圧引き下がり箇所でも使っていたとの情報がある。
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<高圧受電設備や変電室で使われる、母線支持用の高圧がいしの種類>
初期の高圧ピンがいしの項目ではこちらの初期品を紹介したが、実はこれも一部では、昔から普及していたものがある。
ここではそれもあわせて追加でまとめあげてみた。
<<<低圧配電線の引き留めをする昭和の配電用がいしの種類>>>
<低圧がいしにある3つの色分けの意味合いについて>
本題に入る前に、低圧がいしの色の意味について紹介する。
低圧がいしには青色(緑色)、とび(茶色)、白色があるが、それぞれには意味がある。
青色は接地側で使われ、とび色は200Vといった動力線の支持に使われる。白色は通常の100Vの低圧配電線の支持として使われる。
なお、東電管内では、現在、低圧動力線の配列を水平配列に変更してからは、白色の低圧ピンがいしを低圧動力線200Vの支持で使っているが
お隣の中部電力管内は、低圧4線式が主流であり、しかも低圧配電線の配列が水平配列であるから、まだそういった用途で使い分けがなされている。
よって、今のところ地方毎に使い方は曖昧である。
低圧引き留めがいし(低圧茶台がいし)の種類
高圧引き留めがいしに続き、赤釉がない低圧引き留めがいしも実在する。
これは主に低圧配電線の引き留め、分岐箇所で使われていた。
また、これについても、高圧引き留めがいし同様で、外見が湯のみの形に見えることから茶台がいしとの別名もある。
大きさの種類については、大、中、小と3種類あり、寸法については、それぞれ上端幅が、大は、110mm、中は95mm、小は75mmと決まっており
いずれとも前述した高圧引き留めがいしよりもサイズが小さくなっているのが特徴である。
低圧引き留めがいし(低圧茶台がいし) 大
上端幅110mm
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低圧引き留めがいし(低圧茶台がいし) 中
上端幅95mm
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低圧引き留めがいし(低圧茶台がいし) 小
上端幅75mm
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大きさによる種類は、全部で3種類ある。
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低圧2重がいし
低圧2重がいしは低圧ピンがいしが登場する前の昭和初期頃、低圧本線の支持に使われていた。
現在主流の低圧ピンがいしとは違い、がいしの内部に2重の溝があるのが特徴である。
(今の低圧ピンがいしは溝が1つしかない。)
また、昔の国鉄時代の鉄道脇でよく見られた、ハエタタキタイプの木柱にびっしりと取り付けられた通信線支持用のがいし(通信ねじ切りカップがいし)とは種類が違い
低圧2重がいしは完全に、陶器とボルトがセメントによって固定されているようである。
(通信ねじ切りカップがいしは、陶器の内部にねじ込み式のボルトが唯ねじ込んである仕様となっている。)
なお、この手の低圧がいしについては、天切り仕様とそうでないものがある。
※天切りとは、その名の通り、がいしの取り付け時、頂部に溝があるものを示し、電線をがいしの頂部で支持できるようにした構造のものを示す。
基本的には、頂部で電線を支持することは少ないが、電線は、がいしの頂部付近の横にあるくぼんだ部分で支持するか、頂部で支持するかの2通りがある。
低圧2重がいし
(天切りでない仕様)
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古くからある工場の構内線で確認できた低圧2重がいしの使用例
白色の低圧2重がいしの例
内部は2重構造・そして、ボルトを回しても外せないのが低圧2重がいしの特徴である。
もしそれが回して外れたとすれば、それは通信ねじ切りカップがいしであるので、そこは注意願いたい。
ちなみに低圧2重がいしにも接地の意味を施した青塗り仕様もあったようである。
なお、こちらについては、人の名前のような印字があった。
「山内」とあるのが見て取れる。
内部構造については、こちらも同じく2重構造
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低圧2重曲がりねじ込みがいし
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木造家屋の壁などにも取り付けができるようにするために、曲がりねじ込み仕様がある。
内部は2重構造
日本ガイシさんの製造品であった。
こちらは少し小さめで、後述で紹介の低圧曲がりねじ込みがいしのように見えるが、違う。
内部は2重構造となっているから低圧2重曲がりねじ込みがいしの1種かと思われる。
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低圧ピンがいしの種類
低圧ピンがいしが登場する前の昭和初期頃は、内部の深溝が2重となった低圧2重がいしが使われていた。
その後低圧ピンがいしが登場し、水平配列となった低圧配電線の支持に使われるようになった。
大きさによる種類については、大、中、小と3種類ある。
特に登場初期は、小のものが多く使われていたようである。
低圧ピンがいしには他に、家屋の奥へと引き込む低圧引き込み線の支持用として、ボルトの形状が大きく曲がった低圧曲(まがり)ねじ込みがいしというものもある。
ここでは、それも含めて紹介する。
低圧枝がいし
枝がいしについては、高圧用に続き低圧用もある。
低圧枝がいし
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磁器と曲ねじ込みボルトの接着は、固形物である硫黄が使われていたことから
これはここからも低圧用のがいしであったことがうかがえた。
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低圧枝がいしについては、主に国鉄(現:JR)向けに製造されていたようである。
用途は、かつての線路脇で確認できた通信線の支持である。
トンネルの入る直前などでは、通信線も一緒にトンネル内に通すか、山の上を超えることになるので、その引き上げ箇所や引き下げ箇所で使われていたようだ。
配電線で使われていたのかどうかは不明であるが、もし使われていたのだとすれば、柱上変圧器の2次側の低圧立ち上がり線の支持ぐらいであろう。
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玉がいし
玉がいしは、なんらかの影響で電柱を支える支線に電気が漏電した時のことを考慮し、地面と絶縁できるように使われる。
他にも電柱間で支えられる水平支線でも、落雷などによる万が一の漏電のためにも使われる。
玉がいしの呼び名については、世間の間では、卵形状にも見えることから、卵がいしとも呼ばれている。
なお、色については、こちらも昔のものでは茶色が普及していたようである。
ごく初期の玉がいし
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こちらの製造メーカーは松風工業製である。
松風工業社のがいしは、今では全く知名度が低くなってしまったが、かつては日本のがいしの大手3大メーカーの1つであった。
製造年は確認ならず。
R213は型式だろうか
一方こちらの製造メーカ―は不明であるが、やはりこれは相当古いものだと、茶色もあるようだ。
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初代の玉がいしは、ここまでまん丸のようであった。
ちなみに戦前の配電工学系の文献では、普通に「ボールがいし」と明記されていた。
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井形がいし
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井形がいしも玉がいしの1種である。
茶色のものが確認できることから、こちらも玉がいし同様、相当古くから使われていたようである。
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がい管
高圧用がい管
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これは、建物の中へ高圧引き込み線を引き入れる場合に使われる。
筒の中に電線を引き入れる構造としており、大きなツバのある方を建物の外側とし、磁器の白い部分は、建物の壁に合わせる。
色については、これまた登場初期は茶色が普及していたようだが、その後は白色もあったようである。
建物の壁に穴を開けて、このがい管を壁の内部に固定しておけば、穴を貫通して高圧引き込み線を引き入れることができるのだ。
また、種類については、大きなツバ付きのものとツバなしの2種類があったようだ。
現在はいずれとも廃止。
他には低圧用がい管もあり。
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基本的には、大きなツバ付きのものが使われる。
色は茶色と白色の2種類があり、うち茶色は足尾銅山で、白色のものは富岡製糸場で見かけているが、あれはペンキで白色になっているようにも思える。
中はこんな感じ。
大きなツバのある側が、建物の外側を向き
大きなツバのない側が、建物の内側を向く。
一方こちらは、松風工業製
製造年の記載はなし。
高圧を引き入れる側の穴
引き込んだ後の高圧が引き出てくる側
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磁器製コネクターカバーの種類
C型コネクターカバー4号
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これはかつての油入開閉器が使われていた頃、本線へと接続されるリード線のコネクターのカバーとして使われていたのかと推測される。
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赤い釉薬が確認できることから、これは高圧用として使われていたコネクターカバーであろう。
現代のコネクターカバーというと、磁器製品ではない単純な黒いカバーを思い起こすが、どうやら当初は、磁器製のカバーもあったようである。
製造メーカーは高松電気製作所(現:エナジーサポート社)製であった。
C型と4号の表記は、何か用途別に振り分けていた印だったのだろうか
製造年は1967年(昭和42年)製で大分古い。
裏はこんな感じ。
恐らく上部にある大きな穴に2本の電線を入れて、磁器の内部にて、電線の接続をしていたことだろうと思う。
他には、表面と裏面に各2つの穴があるが、これはコネクタカバーが落ちぬように固定するためのものだったのだろうか?
高圧危険であることを示す赤く塗られた下の小さな穴は、水抜き穴だろうか
内部はこんな感じ。
続いてもう1つ
これが一般的な形状ではないだろうか
こちらも種類については、No,4の文字がある通り、同じくコネクター4号の模様
製造メーカーはロゴを見る限り、高松電気製作所だろうか?
こちらは小さすぎて「高」の文字が書ききれなかった感じだろうか?
なお、製造年は1961年(昭和36年)3月とある。
上部はこんな感じ
中身はこうだ。
使用例としては、恐らくこのような感じであろう。
模型で再現した黒い箱のようなものが油入開閉器だ。
追加で廃線で発見したコネクターカバーを撮影してみた。
こちらは東京電力管内の廃高圧引き込み柱(東電が管轄しない引き込み柱)で見かけたものだが、今回の入手品とは種類が違うようだ。
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<<<変圧器の保護装置・1次開閉器(Primary Switch)>>>
がいし型開閉器(ダルマスイッチ)の種類
これは主に、配電電圧が現代の6600Vに昇圧される前の3300V時代に多く使われ、変圧器の保護を目的に使われていた。
または、変圧器を取り換える際に電線路から容易に切り離しができるようにするのが目的でもある。
用途については、ふるくは油入開閉器の代用として使われることもあったようである。
なお、色の種類については、茶色から白色のものがあるが、茶色は戦前に多く使われ、白色は戦後に多く使われていたようである。
色についてはこの2種類が主流であったようだが、日本ガイシ製のものでは、ネズミ色のものも実在していたとの情報がある。(それは恐らく形状から見ると戦前のものかと)
また、形状の種類については、10種類以上あったようであるが、それなりの性能を持たないものは市場から外されるなどし(当時は試験設備が設けられておらず、ちゃんとした試験ができなかったことから、性能の悪いものも市販に出ていた。)
昭和15年に一般用が定められ、その後の昭和25年には、形状が1種類に規格化されたようである。
がいし型開閉器(茶色)
別名:形状がダルマに似ていることからダルマスイッチと言ったり、がいしスイッチと言ったり、呼び名は多数
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形状の種類については、メーカーがごとにさまざまである。
戦前製のダルマスイッチの外見
こちらは、色々な形状のものが普及していた昭和15年以前の一般用が制定される前のものかと推測
本体中央部には、当時の高圧の配電電圧より200V高めの3500V(ボルト)表記と、定格電流は30A(アンペア)とある。
中に入れる栓(把手)は、このような形状となっている。
栓はスイッチの役割を果たしており、これを外すことで回路を開放(切)でき、挿し込むことで回路を閉路(入)できる。
ヒューズは黄色で囲った溝の部分に取り付ける。
ヒューズについては、一定の定格電流を超えると溶断し、電気の流れを遮断する役割を果たす。
昔は電流の少ない区分開閉については、エンパイヤチューブを使用したヒューズの代用として、裸銅線を使用することもできたようである。
こちらに関しては、かつては電流の少ない区分開閉用として使われていたのか、裸銅線のようなものが巻かれていたのが確認できた。
なお、下にある出っ張りは、落下防止である。
本体の上部にある溝部分と、栓の下の方にある尖がった箇所に紐を取り付けることで、落下防止が出来る構造とした。
ヒューズの固定部及び本体の内部
マイナスネジになっている所に時代を感じる。
裏面はこのようになっている。
腕木や腕金への取り付け方法については、左右にある2つの穴に裸硬銅線を巻き付けて固定していたようだ。
一方こちらは、松風工業製のダルマスイッチであるが
形状と把手の部分が独自の規格品となっていた。
本体内部であるが、こちらは2層に振り分けられている。
手持ちの他のがいし型開閉器の把手(栓)は、全て合わない。
亀山商店製造品
こちらは、下の方に大きく亀山式と刻印があるのが特徴である。
ちなみにこちらは、初期規格品も実在しており、そのものに関しては、本体の方に特許番号の記載があるのと、把手も極端に短くなったものもあったようだ。
正式な社名については、戦前の送配電工学系の文献での広告で知った。
なお、同商店については、現在も存続されているのかどうかは不明である。
裏面は他社製とほぼ変わりなし。
把手を差し込む内部は、他社とやや違いあり。
それから把手の形状は、同じ形に見えても実は2つ種類がある。
1つはHK、2つはPATと、それぞれ刻印が入っているものがある。
ちなみに2つの違いはこうだ。
水抜きができるか、できまいかの差である。
見たところ、PATとある方が水抜きができる仕様になっている。
こちらは水抜きができないHK
こちらは水抜きができるPAT
把手のヒューズの取り付け箇所と
1番下の2箇所に穴が開いている。
一方、昭和25年以降の形状がしっかりとした規格化後のダルマスイッチとの比較写真はこちら!
形状の違いは一目瞭然である。
こちらは、戦後の規格後のダルマスイッチの拡大
製造メーカーは、三洋碍子製
中身についてはかなり綺麗であり、戦後の規格品であることがわかる。
ダルマスイッチの装柱例
足尾銅山では、ダルマスイッチの穴に裸銅線を巻き付けて腕木に固定しているものが確認された。
また、ダルマスイッチのとっての部分を外した際の落下防止対策として、本体ととっての部分に青い針金状のものが巻かれているのがわかる。
なお、こちらのダルマスイッチの形状については、把手の部分から形状がしっかりとしているので、戦後の昭和25年以降の規格品かと推測される。
最後に、取り付け例をイメージ
がいし型開閉器に各ある溝は、それぞれ意味があってあるのだ!
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がいし型開閉器については、上部にある2つの穴が目でダルマに似ていることから、別名ダルマスイッチとも呼ばれていたようである。
ダルマスイッチの下部の把手の形状については、まっすぐ直線に伸びたものと短いものの2つが実在しているようだが、特に把手が短い方が戦前の古いタイプになるようである。
なお、形状の種類の他には色による種類も複数あるようで、日本ガイシ製のものでは、戦前製のもので、ねずみ色のダルマスイッチもあるとの情報がある。
しかし、同社製造のものでは、戦後の昭和30年代になると、色は白色のものに変更したようである。
なお、これについてはその情報の他に、同社の社史でも確認している。
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がいし型開閉器(白色)
昭和30年頃普及
大きさの種類については、大と小の2種類がある模様
後者については、茶色の規格品に形状が相当似ている。
なお、普及時期としては、高圧配電線の配電電圧が昔の3300Vから今の6600Vに昇圧される頃であったから、茶塗仕様より、希少度 大!
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まず、大と小の比較はこんな感じ。
白色のがいしスイッチについては、丁度普及が始まった頃の1956年(昭和31年)製と1957年(昭和32年)製の2つを入手した!
なお、製造メーカーは不揃いで、本体が高松電気製作所(現:エナジーサポート社)製で、次いでスイッチ部分である把手の部分が日本ガイシ製造であった。
なお、把手の部分に空いている小さな穴については、ダルマスイッチの開放作業時に、落下防止として番線を通るためにある穴である。
その番線は、本体にある溝に巻き付ける。
各ある溝は、それぞれ意味があってある。
製造年の記載のないもので、メーカー揃いで撮影
裏面
スイッチとなる刃の付いた把手部分を取り外した状態
刃を差し込む部分の構造については、茶塗仕様とは若干違っていた。
把手の部分にはヒューズを固定するものだろうか、何かが付いて残っていた。
なお、これまた同社製造品だと思うが
裏面に大きく「沢井式 専売特許」と書かれたものもあったようである。
これは恐らく白色のがいし型開閉器が登場した頃のものかと推測される。
昭和25年(1950年)頃の製品じゃないだろうか
ちなみに日本初の電燈會社、かつての東京電燈(現在の東京電力の前身)では、沢井式(澤井型)と松風型(松風工業社)のがいし型開閉器を使用していたとの記録あり。
恐らくだが、沢井さんという方が開発されたものなのであろう。
(電気工事読本 東京電燈株式會社 昭和10年12月15日発行、71ぺージを参考・国立国会図書館のデジタルコレクションで閲覧可)
昔は発明した特許を奪われぬよう、製品に直接、〇〇式と明記することがあった。
〇〇式との刻印があるものについては、相当古いイメージが高いが、こちらのがいし型開閉器は白色の後期品である。
茶色の初期品にその表記があるのは多少わかるが、後期品にその〇〇式の刻印があるのは珍しく感じられた。
ちなみに茶色のがいし型開閉器だと、亀山式のものがあるようだ。
それまた表面に刻印があるのだそうだ。
日本ガイシさんの製造品もあり。
メーカー揃いで撮影
最後にこちらも、取り付け例をイメージ
がいし型開閉器に各ある溝は、それぞれ意味があってあるのだ!
なお、白色のがいし型開閉器については、一応小型のものも普及していたようである。
こちらの製造メーカーもまた高松電気製作所製(現:エナジーサポート社)である。
裏はこんな感じ。
汚れは激落ちでこすっても落ちなかった。
中の構造は同じ。
スイッチの役割を果たす把手の部分
ここにヒューズとやらを取り付けていた。
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戦後の配電設備は進化を遂げたことを意味しているのだろうか、白のダルマスイッチは茶塗仕様よりも結構大型であるのが見て取れる。
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プライマリカットアウト(PC:Primary Cutoutswitch)の種類
高圧カットアウトについては、現在は円筒形高圧カットアウトが使われるのが主流であるが、ダルマスイッチの次に登場したのが箱型のプライマリカットアウト(高圧カットアウト)であり、東電管内では昭和35年頃から一時期普及した。
なお、改めて、がいし型開閉器を含んだ登場順番を示せば、以下の通りとなる。
がいし型開閉器(昭和初期〜昭和20年代頃の色は茶色、もしくはねずみ色も、昭和30年代からは白色)→プライマリカットアウト(箱型高圧カットアウト)→円筒形高圧カットアウト
プライマリカットアウト(PC:Primary Cutoutswitch)
初代
普及時期:昭和35年頃〜わずか数年間
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↑プライマリカットアウト(初代の高圧カットアウト)の使用例・変圧器の保護として使用
こちらの写真は、東京都足立区にて、昭和37年(1962年)頃に撮影
製造メーカーは日本ガイシさんの製造品で、製造年は1962年(昭和37年)製であった。
なお、ヒューズの付く蓋の部分については、1963年製
本体と蓋については、簡単に取り外せるようになっていた。
当時のカットアウトについては、フックのようなもので固定されているようだった。
なお、側面の溝の形状については、メーカーごとに大差あり。
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古いプライマリカットアウトは、蓋の形状が黒くなっているのが特徴である。
用途はダルマスイッチと同じく、変圧器の保護とか変圧器を取り換える際、電線路から切り離すために使っていた。
また過去には、がいし型開閉器と同様に、高圧引き込み線を分岐する際に使っていたこともあったようである。
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初期型プライマリカットアウト(PC:Primary Cutoutswitch)の蓋の部分のみ。
初代
普及時期:昭和35年頃〜わずか数年間
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こちらは蓋の部分のみ。
製造会社は日本高圧電気製で、製造年は1967年(昭和42年)とあった。
なお、名称については一応、NDカットアウト ND-301P型ともある。
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プライマリカットアウト(PC:Primary Cutoutswitch)・高圧カットアウト
(名称については、箱型高圧カットアウトなど様々)
2代目
普及時期:昭和40年頃〜
東京電力管内での使用は、既に廃止となっているが、地方の電力会社では耐雷仕様に改良しつつ、今も引き続き、使用を継続している電力会社もある。
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ヒューズの付く蓋の部分が磁器製となった高圧カットアウトについては、早くて昭和31年(1956年)頃には初期型が登場していたようである。
蓋の上部にあるフック部分もまた、初期型は特に高圧危険を示す赤塗を施していないものが基本であったようだが
その後、昭和40年代になると、フック部分を赤色に着色されたものが主流となった。
だが、現状の製造品については、再びその赤塗は省略した製品が主流になりつつある。
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高松式高圧カットアウト
偶然にも40年間眠っていたデットストックを運よく入手!
製造会社:高松電気製作所(現:エナジーサポート社)
製造年:1979年(昭和54年製)
2代目は、ヒューズの取り付けられる蓋の部分も磁器になっているのが特徴である。
ヒューズの入る筒の部分が取り付けられた蓋を開けた状態
一方、「高松式」と書かれた製品はこちら!
これについては、1956年(昭和31年)から1962年(昭和37年)頃までの製品で目立つ。
ちなみに同社製造品は、1950年代から1960年代前半頃の製品では、3300V対応のものもあったようである。
それを次の項目で見てゆく。
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高松式高圧カットアウト・3300V仕様!
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高圧カットアウトにも一応、3300V仕様のものが普及していたようである。
但しこれは、高松電気製作所製に限ったものかと思われる。
普及時期は1950年代から1960年代前半頃のようであり、この時代はまだ、がいし型開閉器がメインの時代かと思うが
高松電気製作所(現:エナジーサポート社)では、既に1950年代の中頃には、箱型の高圧カットアウトを普及させていたようである。
なお、3300Vにも対応できる製品のエンブレムについては、特徴的な「<高>」の文字は、印字ではなく時期に刻まれており、蓋のフックの部分に関しても、赤く塗られていないのが特徴である。
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定格電圧3300V仕様の高圧カットアウト
ちなみにこれは、3300Vと6600Vの両方を対応可能としたものも1956年頃に製造されていたようである。
当時の配電電圧はまだまだ3300Vが多く、将来的には全ての設備を6600Vに対応できるようにしていた時期であるから、両方の電圧を対応できる製品も登場させていたようだ。
3300V、それから3300Vと6600Vの両方の対応品では、<高>の文字が大きく蓋の部分に刻まれている。
PATNoも、同年製造品でも違いあり。
側面!
6600V仕様との比較
大きさはやはり、6600V仕様よりもやや小さいのが見て取れる。
蓋を開放した状態
最後に背面の比較
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高圧カットアウト用操作棒
(主に箱型の高圧カットアウトの開放操作用)
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これは箱型高圧カットアウトを開放操作するのに使われる。
高圧カットアウトの赤く突き出た部分に先端のフックをひっかけることで、開放操作ができる仕組みとなっている。
特に木製の操作棒は古く、私がかつて専攻していた電気科の学校では高圧受電設備を学ぶ実験があって、そこで一度きりしか見た例がなかった。
その実験設備もまた相当古かったのだろう。
その際は木製の操作棒を使って、箱型高圧カットアウトの突き出ている部分にフックをかけて、開放したのを見たのを覚えている。
なお、現在は木製の操作棒はなく(もはや絶滅危惧種)、検電器付きの鉄製の操作棒などが主流である。
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古いものは木製で、モダンを感じる木目調であるのが特徴
これまた高松電気製作所製で、1961年(昭和36年)の製造品あった。
こちらも同社製造品で
もっと古い1959年(昭和34年)製造
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CF遮断器(CF:Cylindrical Fuse)
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これは、現在主流である下蓋が黒く塗られた円筒形高圧カットアウトの原型といえよう製品であった。
筒形の磁器製品となっており、下方からヒューズを挿入する形となっており、前項で紹介の箱型高圧カットアウトとは、構造やヒューズの取り付け方もまた随分と相違がある。
なお、ヒューズの挿入口である下蓋は完全密閉されており、これは主に、塩害の甚だしい海に近い塩害地域で活躍していたようである。
昭和40年頃に普及していたが、その後まもなく、現在主流である下蓋が黒く塗られた高圧カットアウトが登場したので、わずか数年間で廃止となった。
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入手できず、写真なし
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<<<変圧器の保護装置・2次開閉器(Primary Switch)>>>
これはがいしではないが、おまけとして掲載する。
高圧側の1次開閉器(保護装置)に次ぎ、低圧側にも2次開閉器があった。
それがケッチホルダである。
これは単純に、四角形の木片に蝶ネジを両端に2箇所固定し、その間にヒューズを固定しただけだった。
ケッチホルダ
(相当古い文献では、キャッチホルダとの表記もあり)
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高圧と低圧が接触し、低圧側に高圧が侵入した時のことを考えて、低圧側にも保護対策として、ケッチホルダというものが取り付けられた。
ケッチホルダは、木製の棒の両端に、ヒューズをむき出し状態でネジ留めされるのが主流だった。
なお、その後まもなく昭和40年頃になると、今度はしっかりとヒューズの外側を磁器で囲った低圧カットアウトが登場した。
しかし近代では、配電線が完全に絶縁電線化され、低圧に高圧が侵入するという事例がなくなったからか、東京電力管内では、低圧側の保護装置については廃止となっている。
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ケッチホルダのイメージ
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<その他>
木製電柱の昇降用の足場釘
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作業員が木製電柱に昇降するのに使われる。
雨の日でも滑りにくくするために、一面には複数の溝が入れてある。
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東京電力管内では、突き出た部分を下にして、木製電柱にねじ込み固定していた。
製造会社は、那須電機鉄工製が2つと、他にはメーカー不明の「M」と書かれたものが1つ。
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<そして最後にもう1度、昭和初期〜昭和30年代頃の配電柱をおさらい!>
<おまけ>
がいし以外の名称を支柱付きにて!
例は当時の基本形に支柱のある例を示した。
なお、写真に記述の腕金については、昭和35年(1960年)頃より登場
参考文献(当方所持)
配電法 昭和6年4月廿日(20日)
配電及送電 -近代電気工学全書- 加藤 鎌二著 昭和23年7月15日発行
日本碍子株式會社30年史 昭和24年5月5日発行
配電教室 前川幸一郎著 昭和33年9月20日(初版発行)
碍子要覧 1963 日本碍子株式會社 昭和37年9月 第四回改訂第2刷
標準工学シリーズ10 送電と配電 中井寿徳著 昭和38年8月1日(初版発行)
土と炎とエレキテル -がいしの歩んできた道- 藤村哲夫著 1992年3月発行
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