低圧立ち上がり線支持の名残か!?変圧器の土台に低圧ピンがいし発見!!
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戦前から昭和30年代頃までは、変圧器から引き出される低圧立ち上がり線は、今のような太い黒いケーブルに収納して立ち上げるのではなく、直接電線のまま立ち上がっていた。
ここではそれの名残?と思わしきものを見てみよう。
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一見はごく普通の三相200Vの低圧動力線を引き出すために設置された2つの変圧器
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だが、その背後では、見慣れない白色の低圧ピンがいしを発見!
それも低圧立ち上がり線を支持しているではないか
もはやこれは、昔よくあった、電線のまま低圧立ち上がり線を立ち上げるものなのか?
いや、2次側から引き出さされた低圧立ち上がり線はいつも通り!黒いケーブルに収納されて立ち上がっているのが見て取れた。
ちなみにここでは、その製造年の確認ができた。
見るとやはり古く、1965年(昭和40年)製のようであった。
製造メーカーは那須電機鉄工製で、JISマーク付きだ。
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続いて反対側を見るが
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やはりこのほうも、低圧立ち上がり線の支持用で使われているのが見て取れる。
だがそこはやはり、そのまま低圧立ち上がり線が低圧配電線に接続されるのではなく
やはりそこは現代っぽく、一旦黒いケーブルに収納してから立ち上げているようである。
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載っかっている変圧器も赤文字と黄文字で、その容量は両方とも20kVA
ハンガー装柱にも対応できるよう、変圧器の前面には4つのフックもある。
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ちなみにだが、1次側である高圧側の設備は、背後にあった低圧ピンがいしよりも10年若く
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耐塩高圧ピンがいしは、同じく同社製造品で1975年(昭和50年)製
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高圧カットアウトが日本高圧電気製で1977年(昭和52年)製であった。
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なお、ここでは背後からもよく変圧器を望むことができた。
ちなみに左側にある送電塔は、東秦野線37号鉄塔である。
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目の錯覚だろうか?
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背後から見ると、両方の変圧器は50kVAにも見えなくもない?
以前は小容量の変圧器でも、結構大型のものが多かった。
なお、背後の低圧ピンがいしについては、ここは白しかなく、接地側電線を支持する緑のものは見当たらなかった。
古いものでは、よく接地側電線を支持した緑の低圧ピンがいしのみを見かける例が多いが、ここは単純に、電圧側電線との識別をできるようにしただけのものだったのだろうか
それだと、低圧立ち上がり線をそのまま引き上げていたとは言い難いか
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