時が止まった構内用廃電設備
(現存せず。)
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廃工場の屋根の上に、1960年代と思わしき構内用配電設備が、そのままごっそり残されている光景を発見!
それも支持物はいつもの鉄筋コンクリート柱ではなく、なにか鉄の棒のようなものを使用しているのが見える。
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その時代となれば、高圧耐張がいしの引き留めクランプカバーはなく、ジャンパー線支持の耐塩皿がいしはもちろんのことだが
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高圧耐張がいしの取り付け方については、足立区と葛飾区でしか見ることができない、2連結のうち片方を逆付けとした、全方位からの耐塩を考慮?したものとなっていた。
昔はどうやら東電の配電設備のみならず、電力需要家の構内用配電設備でもその取り付けを行っていたらしい。
なお、ここでは合計3本程、いつもの鉄筋コンクリート柱なる支持物を使用せず、何か鉄の棒を使っての支持物を確認した。
今見たのが恐らく、東電の高圧配電線から引き込んで1本目になろうと思われる。
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2本目は倒れているようで全容をうかがい知ることはできなかったが、このほうも高圧耐張がいしは2連結のうち、片方を逆付としたものとなっている。
なお、引き留めクランプカバーについては、こちらは取り付けられているのが見える。
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こちらは1本目の横写真
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耐塩皿の製造年が望めたが、鮮明には見えず。
1959年(昭和34年)製だろうか?
電気の史料館によれば、耐塩皿は1958年(昭和33年)には既に登場していたらしい。
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続いて3本目がこれだ。
鉄棒のような支持物は、どうやらいずれとも建物に直付けされていたようだ。
東電の高圧配電線から高圧引き込み線を引き込んだ後は、写真1枚目(右側)からここまで来て、高圧引き込み線を引き下げていたことだろうと思うが、その先がまた気になるところだ。
当時の高圧受電設備は、どのような構成になっていたのであろうか
今のようなキュービクルは使用せず、網状のフェンスで取り囲んで、そこにトランスとやらを置いていたのだろうか
衛星画像などを使って上からも眺めてみたが、よ〜くうかがい知ることはできなかった。
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それにしてもこれは、現代に残り続けるものとしては何か不思議な構成である。
高圧耐張がいしにはいずれともカバーはないが、1960年代はこれが基本構成だった。
ジャンパー線を支持する耐塩皿がいしについては、中央寄りのはボルトが短いようで、少し低めで取り付けられている。
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