耐塩皿がいし引き通しのタイプ その5
(現存しておらず、今は巨大なマンションが建っている。)
|
2011年の新年早々、初詣を終えて川崎市内を車で走行していた時のことであった。
古びたアパートの横に耐塩皿がいしを使用したものが見えてきたのだ、すぐさま車を止めてもらい撮影へ向かった。
w
|
|
最初に見えてきたのはこれだ!
既に廃線となっているが、これは耐塩皿がいしが他にもありそうだ!
では見てみよう!
|
|
まず終端に見えてきたのがこれだ。
|
|
この感じだと以前は電灯用変圧器があったのかと思われる。
しかしこのような大がかりなマンションの場合は、高圧で引き込んだ後、高圧受電設備を設置してそれぞれ低圧に落としていくんだと思うんだが、ここは違っていたようだ。
珍しく構内線を張っていたように見られる。
なお団地の場合は、低圧は単相3線式で引き込む光景をよく目にしている。
|
|
ここにある耐塩皿がいしについては、変圧器への引き下げ線で使われていたようであり、2つ残っていた。
やはり上向きのがいしのみに耐塩皿を追加していたようである。
|
|
なお、耐塩皿がいしの構成は、普通の高圧ピンがいしに耐塩皿を追加したものとなっていた。
相当古いものなのでその構成にしたのかと思うが、横付けは耐塩高圧ピンがいしである。
次いで高圧用腕金も古く、長さ1500mmの昔のものが使われていた。
|
|
さて、その次にあるのが先ほど見えてきたものである。
こちらは構内用高圧配電線の振り分け引き留めとなっており、そのジャンパー線支持用で耐塩皿がいしが2つ残っていた。
それにしても団地に構内用高圧配電線があるなんて、珍しいことだ。
唯この感じだと、安全上から途中で廃止したように見られる。
それからこの構内線は、左側にある東電の配電柱と比較すると支持物の高さが大分低いのが見て取れる。
|
|
ところで、廃止後も耐塩皿がいしを外さなかった経緯については、何処も一緒ですな
|
|
高圧耐張がいしの2枚ストラップと重ね付けされているからである。
なお、こちらの耐塩皿の製造年は1965年製のものだった。
耐塩皿がいしの種類については変わりない。
|
|
続いて、次はこんな感じである。
次はちょっと珍しく、やり出し装柱での発見となった。
鉄筋コンクリート柱を挟まず、耐塩皿がいしが3:0に並ぶ光景は、構内線でもほとんど見かけない。
昔のがいしの配列は、やはり鉄筋コンクリート柱を挟んで2:1が多かったわけだな
|
↑丁度太陽が雲で隠れて、なんだかここでは見慣れない構成で不思議な感じがしたのだった。
|
なお、死線はここで引き留めとなっていた。
本来なら耐塩皿がいしで高圧を引き留めることはないから、これは仮固定したように見られる。
奥の方については高圧は撤去したようだ。
|
|
さて、ここでも改めて耐塩皿がいしを見て行く。
一番左側の耐塩皿に注目して頂くとおわかり頂けると思うが、高圧がいし、もしくは高圧危険であることを示す赤い線引きが少し浅い位置に描かれている。
しかもその線は途中で消えかかっていた。
耐塩皿も何度も見ているから、見ただけで製造メーカーの判別がつく。
一番左側は恐らくマイナーなメーカーだと思うが、中央は東電管内でよく見かける星マークのもので、一番右側が那須電機鉄工製だと思う。
|
|
一番右側の那須電機鉄工製の耐塩皿の拡大はこんな感じ!
製造年は1963年を示していた。昭和38年である。
|
|
反対側からももう一枚!
すぐ隣には東電の現在のクランプがいし引き通しもある。
耐塩皿がいしとクランプがいし、世代の違いがよくわかる。
それにしても2つが並ぶ光景もそう見かけることはない。
|
|
なお、低圧線については、ここからは三相3線式の200Vの低圧動力線のようなものが引き留めとなっているのが見えた。
給水塔のポンプでもあったのだろうか
|
|
それから耐塩皿の製造年は、中央のものは反対側からも見ることができた。
予想通り、中央のものは★マークだった。
|
|
そして一番右端のよくわからないものは、メーカー不明だった。
|
|
こちらは先ほどの三相3線式の200Vの低圧動力線と思わしき行き先である。
以前はここも高圧があったことだろうと思うがそれは撤去されており、今はその低圧が低圧ピンがいしで仮引き留めされているだけだった。
ちなみにここでは下の方にポンプ小屋のようなものが見えたから、用途はやはりそれだったのかもしれない。
この辺に動力用変圧器でもあったのだろうか
|
|
低圧配電線もちゃんと引き留める場合は低圧引き留めがいし(旧来は茶台がいしだった。)によって引き留められるが
ここは例外として仮固定されているので、低圧ピンがいしに取り付けられているバインド線は結構強固に縛っているのが見えた。
|