秩父鉱山の構内用配電線路 その5
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分岐元となっている日窒珪砂狩倉線(構内用配電線)の17号柱へ戻ってきた。
この後は左側を追跡していく。
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次に見えたものも更新済み区間のようで、支持物は引き続き、鉄筋コンクリート柱となっていた。
架空地線キャップについても、東電管内で確認できる近代的なものである。
なお、電柱番号については、この柱は無記名であり、この次の柱が18号柱であったから、木製電柱からの更新後に1本増やしたのかと思われた。
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構内用の高圧配電線については、片方は完全に電線が寸断されているが、ここより再び上段回線が復活し、2回線となっていた。
高圧耐張がいしについては、こちらも1連となっている。
ジャンパー線の支持も変わらず高圧ピンがいし。
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さて、この次は18号柱だ。
ここでは3回線を張っているかのように思えるが、最下段は分岐用だ。
アームについては、今度は変わって全回線アングルが使われていた。
腕金のサイズについては、上部の2回線は1800mmのもので、最下段の分岐をしているものについては、横幅サイズは短い1500mmのものかと思われる。
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さて、最下段の分岐先を追跡するとこうだ。
分岐先は2本建ての木柱となっており、一風変わった緑色をしていた。
これもまた木製電柱の防腐剤の1つで、硫酸銅(たんぱん)を注入させたものが建っていた。
なお、各ある装置については、上から順に油入開閉器、計器用変圧変流器、その下もまた油入開閉器だろうか?よくわからず。
そして最下段に変台を組んで、変圧器が2台ある感じだった。
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計器用変圧変流器については、定格電圧が3kVとなっているから、完全にこの辺りは3300V設備であったことがうかがえた。
だから設備更新済みの両引き留め箇所の高圧耐張がいしも1連なのだろう。
なお、この計器用変圧変流器は、アングルへの取り付けには対応していなかったらしく、上部に腕木が入れられているのがわかる。
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変圧器については、左側が恐らく単相2線式100Vの電灯用の単相変圧器でその容量は5kVAで、右側は三相3線式200Vの動力用の三相変圧器で、こちらの容量は30kVAであった。
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ここでは同じ支持物を右側からも見てみる。
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油入開閉器の定格電流は、やはり100Aか。
高圧ピンがいしについては、特に横づけのものが古かった。
これは昔の3300V用のものだ。
それにしても油入開閉器のハンドルがまたレトロなこと!
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また少し道草してしまったが、再び日窒珪砂狩倉線なる構内用配電線へ戻りつつ、追跡を行なった。
日窒珪砂狩倉線19号柱は、現代の6600V用の高圧ピンがいしによる引き通しとなっていた。
唯、アームに関しては、こちらも腕金ならぬアングルが使われていた。
アングルについては負荷側向きにはなっていなかった。
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続いて、こちらが日窒珪砂狩倉線 20号柱になるが、再び未更新のものが出てきた。
支持物は木柱で、この先で配電線が川を横断するからだろう、強度をつけるため、2本建てたもの(H柱)となっていた。
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2本間を支えるアームは、やはりアングル。
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反対側はグランドワイヤーだけを残し、他は完全に断線されていた。
下段回線はこの鉱山特有で、油入開閉器を挟んで
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動力用、電灯用の各変圧器に接続されていた。
変圧器は古いようで錆が激しかった。
なお、この変圧器については、2012年には撤去されたようである。
なお、変台については太いアングルで構成されており、その上に木の板が敷かれている感じであった。
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本線のジャンパー線支持の高圧がいしも古く、全て傘型仕様の3300V対応の旧型の高圧ピンがいしだ。
高圧耐張がいしも1連だ!
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変圧器への高圧引き下げ線支持については、本線とは別の種類の高圧ピンがいしとなっているが、これも3300Vで使用していたものだった。
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下はこんな感じ。
変台の木の板の一部は腐っており、変圧器が落ちてきそう。
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今後は使われることは完全にないであろうが、この油入開閉器の状態は良い方だ。
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下を見ると、手が届く位置に油入開閉器の操作紐が垂れ下がっていた。
既に廃止されているからいいが、稼働時に手が届く位置に紐を垂らしておくと、いたずらするやつがいるから、手の届く位置に垂らすのはよくない。
実際に四国電力管内では、2メーターぐらいの位置に開閉器の操作紐があるから、開閉器の操作をいたずらされる事件があり、停電したことが複数あったらしい。
逆に、東電管内は、上の方にある足場ボルトに開閉器の操作紐をぐるぐる巻きにしてあるから、そういういたずらは発生していない。
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完全なピンぼけだが、足場釘も木柱仕様!
地方によっては、大きく曲がりくねった先端を上向きにしていた地域もあった。
この釘の打ち方はさまざまだ。
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柱は他に、蔦が巻き付き垂れ下がった支線が見えた。
この後は自然に朽ちていくのみか
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最後に反対側!
2本の木柱には強度をつけるため、2本の支線が張られていた。
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2回線の構内用高圧配電線については、ここで完全にぶった切られていた。
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下段回線の中央の傘型の古い高圧ピンがいしは、ジャンパー線に引っ張られているようで磁器の部分が傾いていた。
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このアングルからももう1度、変圧器への高圧引き下げ線支持の傘型仕様でない方の高圧ピンがいしも見てみた。。
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さてさて、ここでようやく載っている変圧器の容量が見えてきた。
ここは左が電灯用変圧器の5kVAで、右は15kVAで動力用であった。
どちらの容量も、今となってはかなり珍しい。
なお、変圧器の取り付けについては、どちらともハンガー装柱に対応できるようであるが
右側の変圧器は大きさ的に見てみて、ハンガーに取り付けるのには少し大きすぎるような感じもしたのだった。
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そして、この次に見えるのが日窒珪砂狩倉線 21号柱となる。
こちらの支持物は更新済みのようで、パンザーマストとなっていた。
アームについては、同じくアングルを使用
それからここはよく見てみると、次の22号柱へかけて、さらに架空地線が向かっているのが見える。
どうやらこの構内線は、さらに先にも続いているようだ。
しかしここから先の支持物は、林道沿いではなく山の中に建っているのが基本のようであるから、この先の接近は無理だと思い、日窒珪砂狩倉線の追跡は、ここで打ち切った。
ちなみにこの記事を公開して後のことだった。
ツイッターから情報提供があり、この先にも古い1回線が残っているとの情報を頂いた。
できれば以後、その追跡を試みたいものだが、中々東京からだと遠くて、行ける気がしない。
第一この林道は、途中からは通行止めとなる箇所もあるから、追跡は容易でないこともある。
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