支持物の種類
配電線を支える支持物(電柱、配電柱)には、鉄筋コンクリート柱(コン柱)、木柱、パンザーマスト、鋼管柱、鉄柱、場合によっては鉄塔もある。
ここではそういった各支持物の種類について紹介していく。
<<支持物の始めについて>>
電気よりも電話の普及の方が早い。
よって、電信線(通信線・弱電線)の支持物の登場時期については、明治初期にはもう既に登場していた可能性が高い。
それがいわゆる電柱とは違う名目の電信柱(かなり古い言い方では電信棒)である。
電信柱の形状の種類については、横に何本もの腕木を取り付け、大きく広げたハエタタキ形状が主流だったようである。
一方、配電線(電力線・強電線)の支持物(いやゆる電柱・配電柱)の登場時期については、その後の明治20年に当時の東京電燈會社が初めて配電電圧210Vで直流3線式配電を開始したのが初とされている。
通信線支持の通信ねじ切りがいしを腕木にびっしりと取り付けたハエタタキ形状の古い電信柱の例
(東京都足立区の花畑変電所の入口付近で撮影したものとなるが、現存していない。)
昔はこういうものが街中にも普通にあった。ほぼ同時期、国鉄(現在のJR)の線路わきでも大いに普及していた。
なお、こういった支持物にもちゃんと名称があるらしく、架空裸線路支持柱というらしい。
※呼び方は様々あり、昭和初期生まれのおばあちゃんは、電信棒とも言っていた。
<<支持物の種類について>>
鉄筋コンクリート柱(コン柱)
これについては、円柱と角すい柱がある。
中でも角すい柱が特に古く、今ではほとんど見かけることはない。
なお、角すい柱にも形状がまた細かく存在しており、柱に凸凹形状のない普通のものと、柱に凸凹形状のある2種類がある。
前者は日本最古のコンクリート電柱で確認でき、後者については、その後の昭和30年頃に登場したようであるが、その後まもなく、現代の遠心力工法を用いた円柱による鉄筋コンクリート柱が登場したので、ほとんど見かけない。
建柱方式についても2つは大きく違い、角錐柱(柱に凸凹形状のないものと凸凹形状のあるもの)は、現場で直接建てながら造り上げていく現場打ち、円柱は工場で造ったものを現場へ運んでから建てる工場打ちがある。
なお、北海道の函館市内に日本最古の電柱があることから、一応、鉄筋コンクリート柱自体については、大正時代には既に普及していたようだ。
次いで、凸凹形状のあるものは、昭和30年頃に一時期普及していたようだが、東京都内で急速に鉄筋コンクリート柱が普及していったのは、戦後のことだったようである。
戦後と言えども、昭和22年(1947年)頃はまだ木製電柱が多く、その当時、贅沢な鉄筋コンクリート柱が使われるのは、電線の本数が多い市中が中心だったようである。
その後、急速に、現代仕様の円柱式の鉄筋コンクリート柱が増えたのは、昭和35年(1960年)前後と思われ、関東では都内から急速に、木製電柱から取り換えられるかのごとく、鉄筋コンクリート柱が増えていったと思われる。
これとほぼ同時期、神奈川県内で建設が始まった団地等でも新設で増えていく。
それでも木柱は、当時はまだ郊外に行けば沢山あったといった感じであったが、今は、田舎に残っていた木製電柱も大半は世代交代され、今現在、最も多いのは鉄筋コンクリート柱(コン柱)となっている。
また、頑丈そうな鉄筋コンクリート柱と言えども、河川や谷の横断時に伴う強度を必要としたロングスパン時は2本立て(H柱)にすることもある。
さらに、角度を振った地点や張力の問題で強度が必要な場合は、支線を張ったり支柱を追加したりすることもある。
北海道の函館市内にある日本最古のコンクリート電柱
大正12年(1923年)建柱・2016年9月撮影
柱は珍しい角錐柱で、当時は現場で直接造りながら建てる現場打ちが主流だったようである。
なお、角錐柱については他に、箱根の塔ノ沢の方にもある模様
それから岐阜の大垣の方では、時山第一発電所?にもあるとの情報も
時山第一発電所は、まだ行ったことがないが、あそこは素晴らしい、戦前の電気設備の遺構ですな
博物館にして頂きたいぐらいである。
基礎も現場打ちらしい感じである。
当時の函館市内は火災が多かったようであるから、木柱よりもコン柱を積極採用していたようである。
(看板がある通り、同市内ではれっきとした観光名所となっている!)

さて、他では広島市内でも、戦後復興を早めようという思いであろう
昭和30年代頃より普及し始めた、また別の凸凹形状をした初代の鉄筋コンクリート柱の現役が見つかった。
勿論この鉄筋コンクリート柱も現場打ち工法で、現場で直接セメント流し込みながら建柱していくというものである。
この形状のものが電力会社の配電線が架かるものとして見つかるのは、極めて珍しい!
北海道電力、中国電力を除く他の電力会社では恐らく、ここまでの現役はないかと思われる。
なお、写真にて周囲を見回すと、丁度この先で無電柱化ゾーンが始まっており、先にある引き留めの手前にそれはあったので
(張力などの負荷がかかりにくい?直線の引き通し箇所として現役で残っていたので)、いつまでも偶然残ったのかと思われる。

函館のものは、基礎付近が石畳で囲まれているのが見えたが、こちらの方ではそれは見えなかった。
なお、同市内では他にも、電信柱の用途でも凸凹形状をした初期型の初代の鉄筋コンクリート柱を確認済みである。それが丁度以下になる。

年式については、こちらで確認することができた。

昭和30年(1955年)8月建柱ということでいいのだろうか
そしてこれは、現在主流の鉄筋コンクリート柱の例である。
今は工場で造ったものを運搬してから現場で建てる円柱が主流である。
<<川横断時のロングスパンの配電線を支えるH柱の例>>

川の横断のために2本の鉄筋コンクリート柱を建てた例
(川は写真の手前側にあり。)
この場合の高圧配電線の形については、さまざまなものがあり、通常通りの水平配列にしたり三角配列にしたりすることがある。
また古いものでは、引き留め箇所に腕金ではなくアングルを使用したものもある。
上記写真は引き留め箇所にアングルを使用した例で、高圧配電線の形は水平配列となっている。

こちらは腕金を2段階に振り分けて使用し、川の横断区間については、高圧配電線の形を三角形に変化させている例だ。
(川は写真の右側にあり。)

川幅が広くなれば広くなるほど、鉄筋コンクリート柱も背の高いものを使用するが、この例はほとんどない。

高圧配電線の引き留めで使用される高圧がいしも、この場合は送電線で使われる254mm懸垂がいしを使用することもある。
<<鉄筋コンクリート柱に支柱がある例>>
(斜めに立て掛けてあるのが支柱だ。)

カーブである程度の張力がかかるため追加された支柱の例

引き留めによる張力対策で追加された支柱の例
ここでは、左側のスパンが長く電線の重みが加わるから、その重みで倒れないように支柱で補強している。
本柱が左方向へ少ししなっているのがわかる。
木柱(木製電柱)
木の電柱
配電線の支持物で一番古くからあるのが木柱である。
木柱については当時、杉、ヒノキ、赤松等が使われていたようである。
しかし、そのまま使うのでは、耐用年数は10年程で、すぐに腐食してしまうから、防腐剤としてクレオソート、マレニット、硫酸銅(たんぱん)等を柱に注入していたようである。
(クレオソートはコールタールから精製していた。)
寿命の観点からみると、クレオソートが上位だったようである。
防腐剤を入れただけでも耐用年数は大体2倍に伸び、ヒノキは20年程まで持ったようだ。
それでも未だに現存している木製電柱(昭和40年代建柱)では、その期待をはるかに破り、50年以上経過している高寿命のものも確認済みである。
その例を挙げれば、下記写真のようである。
また、神奈川県の郊外では、昭和46年建柱と後から遅れて建てられた木柱も見かけたことから、1970年代頃までは、比較的まだ新設を行っていた地域もあったように見受けられる。
それだからか、田舎ではまだまだ探せば確認できることがある。木柱は特に神奈川県内に多い。
関西では、奈良県の吉野地区も少しある。
木柱の高さについては、7メーターからあり、一番高いものでは18メーターもあったようである。

 

一番初めの支持物は木柱が多く使われていた。
写真のものは昭和40年(1965年)10月建柱、高さは12メーターであり、既に50年以上経過していた。

 

中にはそれよりも古い昭和38年(1963年)2月建柱も実在していた。高さは同じく12メーター
防腐剤のクレオソートの意味合いだろうか、ここでは「クレ」の字も確認できる。

 

ちなみに木柱本体には、防腐剤を注入した年代の銘板が釘打ちで残っている例もある。
こちらについては、1969年(昭和44年)に防腐剤を注入したと見てよさそうだ。
<木柱は、高さが足りない場合は、上部を継ぎ足す場合も>

木柱の高さが足りない場合は、こうして上部を継ぎ足すこともあった。
これを継柱という。
継ぎ足し箇所については、落ちないようにするために上下で2か所、番線のようなものでしっかりと何重にも固定する。
東京電力管内では既に全滅したようだが、遠く離れた中国電力管内では、令和でもこの通り、いくつか現存を確認している。
<<木柱に木柱の支柱がある例>>
パンザーマスト(組み立て鋼板柱)
これは細い路地等、建柱車が入れないところで現場打ちで建てることができる。
なお、この支持物は電柱以外の用途として、防災無線のスピーカーを取り付けるものでも使われることから、防災無線を「パンザマスト」などと呼ばれることもあったそうだ。
パンザーマストの根入れについては、根腐れ防止のためか、コン柱になっている。
<<かなり背が高いパンザーマストの例>>
埼玉県の道満では、土手を超えるための背が高いパンザーマストを確認している。
しかし、ここまで背が高いものは他では、見たことがない。
<<極太のパンザーマストの例>>
 
一方、神奈川県伊勢原市の大山では、極太のパンザーマストも確認している。
柱が太くなれば補強方法も変わり、根元の部分はコンクリートにより補強されていた。
建柱年は確認できたもので昭和40年(1965年)を示していた。防錆塗装が施されていた。
鋼管柱
鋼管柱もパンザーマスト同様、古くからあるようだ。
その中で一番古いものが東京都杉並区の永福地区に立て続けに残っているようで、その中で昭和44年(1969年)建柱を確認した。
上部の細い鋼管部分の錆が激しいことから、その頃からあることは明確に言える。
鋼管柱は今でも都心にある細い路地や郊外でも新設を確認している。
(上記写真のように比較的広い道で建てられることも稀にあり)
また、数は都心程までは及ばないが、神奈川県でも住宅街で確認することが稀にある。
なお、鋼管柱については、2018年(平成30年)より
今度は根入れ部分を大幅に延長した約4分の1を鉄筋コンクリート柱にした鋼管柱も登場している。
この種の鋼管柱の採用については、東京23区は勿論のこと、栃木県や群馬県の郊外などでも確認済みだ。

根入れ部分をコン柱にした鋼管柱が続く配電線
ここでは所々で一斉に、従来の鉄筋コンクリート柱から根入れ部分をコン柱にした鋼管柱に更新しているのが確認された。
なお、この手の鋼管柱については、従来採用がなかった支柱でも採用されているのを確認した。
そして、鋼管柱については他にも種類があり、横浜の元町・中華街では、中腹部より下の方で大きく曲がった非常に珍しい鋼管柱も確認している。
地方では、鉄道の線路脇にこういう支持物があるとの情報を頂いているが、東電管内での普及数は全くない。
<パンザーマストと鋼管柱の違いについて>
パンザーマストは短いパーツを組み合わせていくことで、長い柱にすることができる。
一方で鋼管は長い鋼管を組み合わせていくので、少ない数で組み立てていくことができる。
鉄柱
鉄柱については、東京都内(東電管内)では、あまり普及はしていなかったように見られる。
現在、東京電力管内の配電線で鉄柱を確認したのは、1本だけである。
送電線も昔は鉄柱の採用が数多くあったようだが、現在発見できたのは、1本だけである。
ちなみにだが、関西電力管内では数多く普及していたようであり、兵庫県の神戸市内では、今でも複数確認できた。
唯寿命の観点だろうか、少なからず鉄柱は減ってきている。

東電管内で唯一確認できた鉄柱の例
こちらの鉄柱は強度対策のためか、まるで大昔よくあった154kV(15万4千ボルト)以下の鉄柱の送電線のごとく、両側に支線が張られていた。

なお、年式については、昭和37年(1962年)のようだった。
しかし同時期の支持物は、既に鉄筋コンクリート柱が主流だったはずである。
ここは川の横断箇所であるので、特別に、後から珍しく鉄柱を採用したのかと思われる。

そしてこちらは、配電線に見せかけて、実は送電線というもので確認できた、珍しい鉄柱である。
送電線路名は、山崎線というもので、昭和40年(1965年)11月に建設された小さな送電線ようである。
この電線路は、電線路の途中に、変圧器などの負荷をかけたものが一切確認できなかったので、送電線と言える。
送電線の定義については、電圧が絡むわけではなく、普通に電圧の小さい送電線もある。

他には三角鉄柱もあった。
これについては、早くて昭和初期には普及していたようである。
鉄塔(配電鉄塔)
配電線で使われる鉄塔は、主にスパンが長くなる川を越える箇所で稀に使われる。
埼玉県坂戸地と川島町の境を流れる越辺川で発見した配電鉄塔
この先、川幅の広い河川を横断のため、特別に、送電線で使われる鉄製の鉄塔を使っている。
一応、東京電力で公開されている支持物の数量表を見ると、配電鉄塔の支持物数は60近くあるようだが、実際に発見できたのはこれっぽちである。
最近は川にかかる橋と一緒に配電線もCVTケーブルに変換して通してしまうようであるから、現存数が全くないのかと思われる。なお、現在は、川にかかる配電線自体、見かけることはほとんどなくなった。
電柱(各支持物)の耐用年数について

木柱の寿命
(使われる木材によって多少の相違あり)

不注入柱:せいぜいもって10年
杉:約8年
ひのき:約13年

注入柱:もって約20年
クレオソート注入柱:約20年
マレニット注入柱:約14年
硫酸銅(たんぱん)注入柱:約18年

その他支持物の寿命
鉄筋コンクリート柱:約30年
鉄柱:約40年
パンザーマスト、鋼管柱:不明

解説:日本では木柱に主として杉を使っていた。(北海道ではとど松、えぞ松を使用)
唯、木柱はそのままの実使用では腐食しやすいことから、当時はクレオソート、マレニット、硫酸銅などを注入した注入柱による木柱が主流であった。
注入方法については、クレオソートとマレニットは加圧式で注入
硫酸銅注入柱は、加圧式注入法とは違い、伐採後すぐに注入をしなければならない。
また、仕上がりにばらつきがあり、耐用年数もそれなりに変化
結果、細心の注意を払わないと良い製品は出来上がらないという難点があった。
耐用年数は、不注入柱はせいぜいもって10年。防腐剤を注入をした場合でも、せいぜい持つのは2倍と言われている。
しかしながら、現在では耐用年数を越しているものもいくつか見かけている。
個人的に見た感じでは、最大で50年は持つものを見かけているから、そのぐらいは持つのかと思われる。
防腐剤のメリット、デメリットについては、クレオソートによる注入は臭気を帯び、柱上で作業する際には作業着が汚れるというデメリットがあった。
但し、高寿命というメリットあり。
一方、マレニットは無臭で人畜に対しても無害かつ、茶色より目立ちにくい黄色であったから、市街地で採用されたようである。
なお、木柱はこれでも、全体的に美化意識を考慮すると、防腐剤に色があり目立つので、高度経済成長期からは、景観のよい鉄筋コンクリート柱を増やした傾向にあるようだ。
それでも今もなお、世間からすれば景観は悪いらしい。
円柱型の鉄筋コンクリート柱は中空式で、遠心力を用いて製造する。
寿命は文献で約30年とのことだが、東京都内では耐用年数を越すものが結構あり、半永久的である。
個人的に見た感じでは、50年は持つものかと思う。
唯、海に近い場所は例外!地域ごとにバラつきもあろうことかと思われる。
そうならば、寿命の高い鉄柱を使えばいいかとも思うが、鉄柱は建てる際に基礎を必要とし、それなりに建てるのに時間がかかるので、今は全く採用されていない。

参考文献
配電法 昭和6年4月廿日 電気工学講習会 3版発行
最新の配電技術 昭和26年2月25日 改訂版
配電教室 昭和33年9月20日 初版発行
近代配電工学 昭和31年8月25日発行

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