今は亡き、花畑変電所入り口横の木の電信柱
今はすでに現存していないものになりますが、ここでは、かつての明治から昭和30年代頃までに活躍していた、東京都足立区花畑変電所入り口横にあった電信線支持の木柱を掲載しようかと思います。
昔々の明治中期から昭和中期頃までは、配電線(強電線)と電話線(弱電線)は別々に支持させていました。
これも恐らくその頃の名残なのでしょう。
(ちなみにマニア間では、形状がハエタタキによく似ていることから、こういったものをハエタタキと呼びます。w)
今は1本だけしか見当たりませんでしたが、きっと現役時は何本もの通信線支持の木柱が続ていたことだろうと思います。
それが今は、丁度、たまたま横にあった物件用の電話線の支持として活用しているので、この木の電信柱だけは運よく残ったように見られます。
アームについても古びた木(腕木)が使われており、がいしも古いです。
なお、こちらに取り付けられている爪のように長く伸びたがいしについては、「通信ねじ切り2重がいしカップ」であるという情報を那須電機鉄工さんよりお聞きしております。
多分、白い陶器の部分を回せば簡単に外すことができるものだと思います。
それで、正式名称もがいしカップなんていうんだと思います。
(それにしても、これは弱電線用だからこそ認められた製造手法のがいしだ。配電線といった強電線では、磁器を回して外せるがいしなんて、とてもじゃないが認められないと思うぜ。)
そして、肝心ながいしの製造年もめがけて撮ってみましたが、右上は那須電機鉄工製で1933年製のように見えます。
(まぁ、付近にある東京電力管理の花畑変電所が丁度その頃(昭和初期頃)にできたようなので、それもそのはずかとは思うのですが、実際はどうだろうか)
このように、一部は型が丸みを帯びた戦前製のものもあるような気がします。(←このように、背が高くて丸み帯びた型は古い証拠です。w)
でも、中には形がしっかりとしたものもあるので、戦後のものもあるような気もw
ちなみに、よーく見てみれば、左上と右上のものは同じメーカーのものなのですが、形状については、左上の方がしっかりしています。
なので、左上は1950年代製かと推測
最後に、反対側はこんな感じで

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