厚木の古いタイプ
厚木市内でも架空地線の支持に腕金を使用したものや、高圧配電線の引き通しにクランプがいしと高圧用腕金を2つずつ取り付けた旧式がみつかった。
ここでは同市内で撮影したものを見てみよう。
まずは、下沖変電所(配電用変電所)を起点とした1回線から!
県道22号(横浜伊勢原線)沿いで見かけた配電用変電所からの立ち上がり柱は比較的新しいが、奥の方では古いものがいくつか残っていた。
しばらく進むと、この配電線は道路(県道22号)の反対側へ移る。
移った直後の先で、県道22号から外れて、そこからは普通の道路沿い
その入り口では、自動式の区分開閉器を取り付けた鳥居型を発見
基本的に区分開閉器は、こうした高圧配電線の分岐箇所に施設されることもある。
その後は他では中々見慣れぬ、鳥居型を付けたクランプがいし2連引き通し発見!
しかし変圧器は一度取り換えたようで、そこは真新しい。
鳥居型は少し長い感じもしたが、単純に少し上に取り付け過ぎているからそういう風に見えるだけか?
その後は架空地線の支持はキャップに変わるが、高圧の引き通しは同じくこちらもクランプがいし2連の引き通しだ。
なお、高圧の配列も、ここでは全てを片側へ寄せたやり出しへ変化する。
その次は再び区分開閉器を取り付けたものがあるが、こちらは手動式だ。
なお、高圧の配列については、ここでは片寄せのやり出しから中央配置へと切り替わるが、架空地線支持の鳥居型は、何故か片寄せ仕様となっていた。
当初はここも高圧は、片寄せする予定だったのだろうか
続いてその次は、再び高圧を片側へ寄せたやり出しに変化
年式については、昭和47年(1972年)であるのが確認できた。
腕金などの部材については、正しくその当時物かと思われた。
続いてその次は、再び高圧は中央寄りを通るから、架空地線支持は普通の鳥居型となっていた。
この辺の鳥居型も、錆びの色具合を見た感じ、1972年の当時物だとうかがえた。
こちらは少し入り組んだ位置に立っているため、支柱付きだった。
ここで反対側を向いて振り返る。
この辺りの架空地線は、上吊が基本のようだ。
さて、続いては、これとは逆方向の県道22号沿いの古い2回線を見て行こう。
こちらもさすがに、立ち上がり柱は更新されており、割と新しめであったが
その後はやはり、架空地線の支持に腕金を使用した旧式が並んでいた。
種類的には、昭和50年代頃の基本形と言えよう。
反対側はこんな感じ。
高圧用腕金の取り付け向きについては、下段は後で取り換えたのだろう、負荷側向きにはなっていなかった。
上部は負荷側向きだ。車道に対して右向き!
その次はややカーブを振るためか、片寄せされた高圧はクランプがいし2連によって引き通しとなっていた。
ここでは下段回線で高圧引き込み線の分岐を行っている感じだった。
なお、クランプがいしの間隔については、上下でやや違うのも見て取れた。
上部は間隔大であるが、下段はそれに対し中だ。
続いてこちらは、上部は両引き留め箇所となっているので、高圧を中央に配置して両引き留め
次いでその下段は、高圧を片側へ寄せながら、またもやクランプがいし2連引き通しだ。
その後は一部、架空地線の支持はキャップを使用した箇所もあるが、腕金の方が多い。
反対側はこんな感じ。
腕金の取り付け向きについては、両回線とも揃って、負荷側向きであるものもあった。
ここは上段回線は両引き留めで、下段は単一腕金にクランプがいしを配置して引き通し
とりあえず、古いタイプの撮影はここまでとなった。
この先についてはやはり、近代の離隔腕金が目立った。
私は離隔腕金よりも鳥居型などの落ちついた個性ありきものが好きである。
さらにその先はこんな感じ。
右側の架空地線がないものが今追跡してきた古い2回線であったが、この辺については徹底的に更新されたようで、設備が真新しかった。

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