形は決まっているが、肝心な耐塩皿がいしは使われていない! その5
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ここでまず見えてきたのは
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↑耐塩皿がいし時代はがいし2連か・・・
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負荷側向きの高圧用腕金だった。
(単純にカーブを振っているから、こちら側に高圧用腕金を取り付けたとも考えられそうだが、果たして)
これは何かあるぞと思いきや、耐塩皿がいしが残っていたのは次だった。
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しかし現状は、高圧はここが引き留めとなっており、先ほどの引き通しの高圧用腕金の取り付け向きには違和感があった。
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いや、よく見たところ、元はこちらが電源側のようだ。
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架空地線の引き留め金具であるが、電源側である右側方面にも残っているのが見えた。
以前はその分岐の高圧を支持する配電柱もあったことだろうと考えられるが、家が建った影響でそれは撤去され、こちらの配電線の電源側もやむなく変更となったように見受けられた。
なお、耐塩皿がいしについては、ここが電源側だった頃に、ジャンパー線支持用で使われていたのだろう。
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耐塩皿の製造年は、昭和40年前後が多かった。
耐塩皿がいしの種類は、耐塩高圧ピンがいしに耐塩皿を追加したものとなっていた。
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プレートはこんな感じ。
テプコマークは昭和40年頃の昔に普及していた横に稲妻マークのあるものだ。
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