孫惣線を追跡! その1
(訪問年月日:2016年の3月と7月の2回に渡り取材)
東京都内の配電柱は、今では見上げてもほとんど木製電柱(木柱)を見かけることは全くないが、奥多摩町にある構内用配電線では、大量の木製電柱がある場所がある。
同都としては、唯一の大量木製電柱スポットになると思われる。
それぐらい木製電柱が多い場所だ。
東京都奥多摩町の日原といえば、日原鍾乳洞がテレビでも多数取り上げられており、そちらの方が有名であるが、実はこれよりも西側にある日原林道沿いでも突如!として!昭和の古き良き木製電柱を使った構内用配電設備が出現する。
それもただ単に構内線が張られているのではなく、孫惣(読み方不明だが、人名事典ではまごふさと書かれている。)線という構内用配電線のようで、林道日原線から林道孫惣谷線にかけて、90本程、ほとんど木製電柱のままで続いている。
孫惣線の由来については、大半は孫惣谷林道に沿ってある構内用配電線であるから、そう名付けられたのかと思われる。
ここではその孫惣線を見てゆく。
※林道孫惣谷線の入り口にはゲートがあるが、天祖山やオロセ尾根へ登山する場合には、この道が使われているから、普通に入った。
なお、林道孫惣谷線経由で天祖山へ向かうルートについては、遠回りかつ、今ではほとんど使われることはない登山道の模様。(ネット情報))
入り口にゲートがある意味については、鉱山施設が付近にあるため、その作業車両に支障が出ないよう、一般車両(車やバイク)の通行を禁じているのかと思われた。
この林道は道幅がとにかく狭く、対向車が来た場合、避けれそうな待避所が全くない。
孫惣線の支持物についての説明:支持物については木製電柱が多く、高圧用アームについてはアングルを使ったものが多い。
そして、構内用高圧配電線の引き通しについては、死線区間については高圧ピンがいし(これは、配電電圧上昇後の6600Vのもの)が目立つ。
なお、更新区間については、10号中実がいしを使ったものが大半で、変圧器の保護は箱型の高圧カットアウトが目立つ。
それでは日原街道と日原林道の分岐点より、構内用配電線の追跡開始!
1回目は、まだ寒い3月に行ってみた。
写真の奥には、日原街道と日原林道の分岐点が見える。
孫惣線という奥多摩工業管理の構内用配電線は、ここより突如右後ろのから出現する。
こちらの看板は、分岐点にあった案内板だ。
ここを右へ行けば日原鍾乳洞へ、左へ行けば、雲取山や天祖山へ行けるようであるが、私は配電線大好き人間かつ、配電線の方にしか興味がないため、天祖山へは行かない。
しかし今回は、林道孫惣谷線の終点間際にある、天祖山への裏ルートによる登山道の入り口までは行く。
なお、現在地を手作りの地図で表示するとこのような形である。
※この地図はあくまでも目安である。実際に撮影に行かれる場合は実際の地図をご参考頂きたい。
ここでは、左側のグランドワイヤーと高圧配電線と電話線がある方が東電の配電線で、右上から左下へ下がっていくのが、今回追跡を行った構内線である。
その構内用配電線が降りてくる方面を写した写真はこちら!
多分、夏は見えまい。いや、冬でも見つけるのは大変かもしれん。

この下りてくる方は崖の上にあるようだが、あの木柱に直接アクセスできる道は消失したのか、近づけそうな道はなく、この方の追跡は諦めた。
(↑建てる時と、巡視をするための道は、作るはずである。)
それにしても、ここは凄いところにあるのが見て取れる。
周りは木々に囲まれており、本当に電線がそこから張られているのか疑問を感じるが、確かにここから構内線は出ているのだ。
しかしここは、すぐ近くには岩肌の見えた険しい山々があるというのに、一体どうやって木柱を建柱したのだろうか?
その技術にまずは感心してしまった。
なお、支持物については、ここは谷と川の横断でスパンが長いため、木製電柱は2本建柱(これをH柱という。)としたもので、構内用の高圧配電線を上部の方で引き留めているようだ。
それからこちらは、これから本格的に追跡する孫惣線とは、別路線になるものかと思われる。
近づけないため、この電線路名は不明
続いて、その向かいを写した孫惣線の最初の1本目がこちら!
孫惣線1号柱に相当か?
1本目については、前写真で紹介した通り、別路線との境目となるから、区分開閉器が施設されていた。
その区分開閉器の型もまた相当古いもので!なんと!!旧式の油入開閉器(昭和の代表的な高圧配電線のスイッチで、オイルスイッチともいう。)がそのまま取り外されずに残っていた!O_o
(PCBは大丈夫か)
それから、高圧配電線の引き留めについては、ロングスパンだというのに、高圧耐張がいしはたったの1個であった。
いやはや、ここまで長いのならば、送電用の懸垂がいしを使用するべきとも思うが・・・
それにしても1個ずつの高圧耐張がいしとは、これには高圧配電電圧の昇圧前の3300V時代を匂わせますな。
しかし、肝心な建柱年は確認してみると、そこまで古いわけではないことに後で気が付くことになる。

林道日原線の入り口を示す看板
なお、普通車両については、これより250メーター先へ行ったところは通行止めとなるから、その先はずっと奥までひたすら歩くことになる。
通行止めの対象となるのは、バイクなどを含む普通車両であって、歩行者の進入はできる。

ということで、ここより林道日原線へ入った。
ここですぐに見上げれば孫惣支線1号柱(H柱)が見えてきた。
油入開閉器の定格電圧は、確認してみたところ配電電圧昇圧後の6600V仕様であった。
続いて高圧のすぐ下段には、単相2線式の100Vの低圧配電線の引き留めで使っていたことであろう、昔の茶台がいしが見えてきた。
それを用意してあれば、すぐにでも外灯を取り付けることが可能だ。
いや、ここは2本だと、遮蔽線だったことも考えられるか・・・
でもそれは、高圧配電線に裸電線が使われていた相当前の時代だからな、実際はどうだろうか
ちなみに現状は、絶縁電線になっている模様。
ここでは、防腐剤としてクレオソートが注入されている木製電柱と
山火事注意のホーロー看板に時代を感じた。
さて、ここでプレートを確認!
油入開閉器が取り付けられたこちらの1本目からが孫惣線となるが、ここは他の電線路との境目になっているからだろうか、孫惣支線とあった。
それにしてもここは、プレートの上部にある独特のマークも、鉱山らしいグランビー鉱車(トロッコ)のようなものをイメージしたマークが印字されているのであった。
そして、肝心な建柱年は、昭和48年(1973年)4月とあった。
ここまで若いとは疑問だ。
なぜならば後で、1960年代製造の高松式プライマリカットアウトや、松風工業製の1929年(昭和4年)製の低圧2重がいし?なんかも確認したからだ。
かつては3300V配電で、それを後で6600V化したことや、途中で設備をなんらか更新したなどの影響で、プレートを打ち替えたことも考えられるか?
なお、電信線(電話線等)ついては、NTTに木柱を貸しているようで、番号札のマークについては、いまだに民営化前の電電公社時代のマークとなっていた。
孫惣支線1号柱の反対側写真はこんな感じ。
手前側には現役の東電側の配電柱が見える。
電信線類の支持については、その配電柱も使われていた。
ここではもう1度、上部を拡大!
谷と川を横断している高圧配電線については、裸電線であるのが見て取れた。
となると、やはり高圧の下にある2条の線は、単相2線式の低圧配電線ではなく、遮蔽線か・・・
次いでその右手前にも、かつては構内用高圧配電線を張っていたような痕跡も見られたが、それは今は別ルートで張っているようで、今は単純にアングルが残るのみだった。
なお、さらにその下段では、もう1本右を向く古い腕木も確認できるのであった。
その方は、3本中、中央の高圧耐張がいしを固定する四角い金具も残っているのであった。
続いて次の2号柱を見てゆく。

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