孫惣線を追跡! その15
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続いて74号柱
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こちらは区分開閉器が取り付けられており、ここで一旦、構内用高圧配電線は引き下がる。
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この型の開閉器も旧式っぽい感じがした。
開閉器を通した構内用高圧配電線は、この後は再び引き上がり、奥へとさらに続く。
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と、この時だった。
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んん、ここで何かが落ちてるのを発見!
おっ!これは昔!!高圧配電線の引き留め箇所とか振り分け引き留め箇所、あるいは引き留め箇所で使っていた、高圧茶台がいしではないか
唯、今はご覧の通り、打ち捨てられていた。
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それにしても、裸銅線が残ったまま放置されているとは、なんとも無残な。
がいしの製造年は見ると、大分古く1963年(昭和38年)製とあった。
確か木柱の建柱年は昭和48年(1973年)とあったはずだ。
しかし高圧がいし類は、それよりも10年近く古い。
ということは、木柱自体も既に、この当時にはあったということだろうか
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高圧ピンがいしも同じく1963年製であった。
なお、こちらの製造メーカーは、朝日碍子
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おお、歴史ある松風工業製まで!
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この2重がいしについては、ここではどれも1929年(昭和4年)製造のものを使っていたようだ。
唯、このがいしだけが20年も30年も古いのだけが謎である。
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このまま放置していると環境に悪いから「全部売りなさい。」と、一言言いたい。w
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大分寄り道したが、74号柱のプレート
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続いて75号柱からは、引き通しに高圧ピンがいしを使った旧式が再び現れた!
なお、先ほどの打ち捨てられていた高圧茶台がいし類は、全てこの先で使われていたように思われた!
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なお、ここでは死線区間で見られたようなアングルではなく、腕金を使用したものが目立った。
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75号柱のプレート
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次の76号柱では、構内用高圧配電線を振り分けていた。
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設備は高圧耐張がいしは銅線用カバーなどを使用しており、多少古い感じはあるが
先ほど打ち捨てられていた高圧茶台がいし類は、ここで使われていたように感じた。
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それから高圧耐張がいしも1個ずつなのは、今もまだこちらは3300V設備であることが絡んでいるように思えた。
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76号柱のプレート
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反対側はこんな感じ。
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背景の岩肌もまた凄い!
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