足尾銅山の構内用配電線路 その17
さぁ、間藤線6号柱まで戻ってきた。
次はここより赤倉線を見てゆく。
ちなみにここは赤倉線1号柱になろうかと思われる。
この感じであれば、間藤線6号柱にかかる2回線のうちの下段回線より、赤倉線なる2回線を同時分岐しているかのように見えるが、片回線は違う。
2013年頃までは、普通に2回線とも本山変電所?を起点としていたようなのだが、どうやら途中で2回線のうちの片回線は繋ぎ替えが行なわれたようであり
現状は、その片回線が東電の高圧配電線より高圧引き込み開閉器を経て、高圧引き込み線として間藤線6号柱まで引き込まれているようである。
なお、このアングルからでは、開閉器(PAS)が2台あるうち、左側のスイッチはオフで右側がオンになっているのが見えた。
※普通、開閉器の引き紐は、左を引くとオフ(開放)、右を引くとオン(閉路)となる。
見た感じここでは、赤倉線と接続されている左側の方の開閉器がオフとなっており
東電の高圧配電線より、高圧引き込み線となってここまできている右側の開閉器の方がオンとなっている。
さて、それでは本当に、片側の1回線は東電から分岐されてきているのか、見てみよう。
このアングルからでは、右側の1回線がその東電の高圧配電線からきている高圧引き込み線である。
前の写真で左側だった1回線は、このアングルでは左側の1回線になる。
それは2回線のうちの下段回線に入り込んでいる。
ちなみにその右側では、何か別の高圧引き込み線を引き下げているのが見えた。
どうやらこちらに高圧引き込み線を増設した際に繋ぎ替えをしたようである。
なお、ここでは珍しく、構造物の横から腕金を突き出して2回線を支持しているのが見えた。
この方は柱ではなく、構造物に腕金を取り付けて振り分け引き留めをしている形となっているが、ここは赤倉線2号柱に相当するであろう。
その後も数スパンは、構造物から伸ばした腕金に高圧ピンがいしを取り付けて引き通しをしていた。
ちなみにこの数スパンに関しては、振り分け番号は追っていくと含まれていないようだ。
と!
ここでは!下段回線よりさらに高圧配電線を分岐しているかのように見えるが、実際はしていない。
ジャンパー線は接続されていない。どうやらその方は廃線のようである。
ここでまたちょっぴり寄り道となってしまうが、分岐先を見てみた。
と思ったら、1本目以降はよく見えなかった。
再び赤倉線と東電の高圧配電線から分岐されてきている高圧引き込み線を見てゆく。
この先にある赤倉線3号柱で、それが明らかになる。
これだ!
ここでは10号中実がいし2連引き通しになっている上段回線の方が赤倉線となっており
左側でPASを介して通じている下段回線の方が、東電の高圧配電線より分岐されてきているものとなっている。
ちなみに2013年時点では、ここでは特に東電の高圧配電線より高圧引き込み線は引き込んではおらず、2回線とも赤倉線となってこの奥へ向かっていたようだ。
下段回線へ向かうPASのスイッチは、緑の切である引き紐の方が上がっているから、ここはオンになっている。
続いて東電の高圧配電線からの高圧引き込み口はこんな感じ。
ここでは最下段がそれだ。
こちらも赤い引き紐の方が引き下がっているのが見えるから、高圧引き込み開閉器のスイッチは、オンとなっている。
引き続き赤倉線を見てゆく。
赤倉線自体、昔は2回線だったようなのだが、2013年の時点では既に、片回線(ここでは上段回線)は使っていない停止線(死線)としていたようだ。
ちなみにここ赤倉線4号柱のこの直前で、下段回線は東電の高圧配電線より高圧引き込み線を引き込む構成へと変わったため、下段回線は撤去
それにより現状ここは、上段回線が下段回線へ接続されている形となっている。
なお、下段回線へ入り込んだ赤倉線は、ここで1回線を分岐しており、その行き先はわずかワンスパンで終端
この分岐区間の電線路名は見えず。
変圧器については、電灯用と動力用の両方が載っており、これは左側が単相2線式の100Vの低圧電灯線を引き出しており
右側が高圧側の引き下げ線3本一括で変圧器へ入れているから、三相3線式の200Vの動力線を引き出しているように見える。
しかしその動力用変圧器は、今や需要がないようで、低圧立ち上がり線は先で切られているのが見えた。
外見上は単相交流2線式高圧配電線の引き留めに見えがちだが、実際は違う。
通常通りの三相3線式の高圧配電線である。
ここは中央寄りの高圧耐張がいしが腕金の片側によって取り付けているから、最初に見るとそう思えてしまう。
赤倉線5号柱
下にある蛍光灯は夜になると点灯するのだろうか
恐らく活線だと思うが、その確認はここでは夜でないとできなさそうだ。
それにしてもここは、何か違和感のある構成だ。
それはといえば2回線中上段回線だ!
そこが丁度、中央については高圧耐張がいしによる両引き留めではなく、耐塩高圧ピンがいしによる引き通しとなっていた。
なお、ここでは下段回線より、2本の高圧引き下げ線を変圧器へ引き下げているから
載っている変圧器は、両方共電灯用かと思われる。
背面を見ると、いずれとも単相2線式の100Vの電灯線を取り出しているのが見えた。
赤倉線6号柱
こちらの変圧器は、結線を見ると三相200Vの動力用に思える。
なぜなら、単相2線式の100Vをメインとしたところで、低圧カットアウトが2つもあるから。
なお、支持物に関しては、ここまでは1990年代に設備更新されたような鉄筋コンクリート柱が続くが
その次は凄い!
支持物は木柱で、昭和初期から昭和30年代の形をしていた。
高圧配電線の引き通しで使われる高圧ピンがいしは、どれも昔の3300V仕様で、それが付くアームもまた、腕金ならぬ腕木である。
よくもまぁ、半世紀以上持ったものだ。(後で確認するが、高圧ピンがいしの製造年は1958年(昭和33年)であるの発見する。)
腕木は特に、木柱との取り付け部が腐りやすいのだそうだ。
それがここは腕木の端がわずかに曲がる程で、当時の形を維持し続けている。O_o
きっとここは、2回線ごと腕木を固定したのが正解だったのだろうな。
変圧器への高圧引き下げ線が下を通る単相2線式の電灯線と接触して擦り減らないようにするために白いがい管があるのも珍しいが!
ここではそれに合わせて!ここでは貴重なものも発見!
茶色のがいし型開閉器まで付いていた。
しかもその製造メーカーは、近代では全く見慣れないもので「特許 亀山式」と大きく刻印されているものだった。
亀山式のがいし型スイッチについては、思い返せば、そういえば岐阜県大垣市の時山第一発電所にもあったようだ。
同社製造のがいし型開閉器については、他にも特許番号の記載があるものに関しても普及していたらしく
同発電所はそのものが落ちていたという情報をネットで知っているぐらいである。
だが、もうあちらは取り壊されてしまったから、産廃として捨てられてしまったことだろうな。
高圧ピンがいしが1958年(昭和33年)製であるのは、ここで確認した。
1950年代製造の高圧がいしなんて、今ではもう外で見ることはほぼほぼ不可能であろう
それからここは、変圧器への高圧引き下げ線は大胆に引き下げることはせず
茶色の高圧3重がいしのようなものを使用して、引き下げているのが見て取れた。
赤倉線6号のプレート
左下には木柱の防腐を施した年代が書かれている。
高圧ピンがいしとは3年ほどの開きがある。
反対側はこんな感じ!
この配電線も遺構として残り続けるべきである。
他には同種がほとんどない。
なお、変圧器の製造年については、今では見慣れない富士通製であった。
使われているのかどうかは不明。
活線だとしたら凄いな。
続いて7号柱
こちらは鉄筋だが
変圧器だけは古そうだ。

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