足尾銅山の構内用配電線路 その18
|
その次の8号柱もまた、かなり見応えのあるものとなっていた。
|
|
今度はなんと!継柱である。
|
|
太い丸太を継ぎ合わせているようで、ここもまた時代を感じた!
※継柱とは、木柱の高さが足りない場合、さらに上部に木柱を継ぎ足して高さをアップしたものを言う。
高圧ピンがいしは、もちろん3300V仕様の旧型!
|
|
それからここは変圧器があるのも凄かった!
こちらも既に、普通に半世紀以上、この形を維持し続けているのかと思われた。
なお、スイッチ関連については、こちらはがいし型開閉器ではなく、箱型の高圧カットアウトとなっている。
それにしても、変圧器が載っている変台もまた腕木で形成されているから驚きだ。
意外にもその辺に関しても、一応半世紀は持つのだな。
改めて感心したのだった。
|
|
そして赤倉線は、現状は9号柱で使っていない上段回線を含めて、2回線共に完全に引き留めとなっていた。
|
|
高圧上部に関しては、その終端だけが真新しく、赤帯のない高圧耐張がいしで引き留められている感じであった。
ちなみに今は廃線となってしまっているが、この先にも赤倉線は2回線となり、続いているようである。
|
|
こちらは数えて行くと赤倉線10号柱に相当
ここからは完全に廃線となり、長いこと放置されているようだ。
なお、それまた近づきにくい少し山の中を通っているようだ。
|
|
支持物については、ここからはしばらく木柱が続くが、こちらに関してはまたもや継柱となっていた。
高圧上部については、以前はここは高圧茶台がいしによる両引き留めだったようだが、9号柱側の電線は落とされている。
|
|
数えれば11号柱に相当するもの。
|
|
使っていない区間は現状放置されえおり、化石を見ることができる。
ここも変わらずアームは腕木で、高圧茶台がいしを使用した両引き留め装柱となっていた。
中央の茶台がいしについては、東海エリアでは大きなVストラップを用いて支持すると思うが
ここは少し中央から2枚の直線ストラップをずらして、そこで同がいしを上下で固定していた。
|
|
なお、ここでは赤倉稲荷神社からも11号柱を撮影することができた。
|
|
同じ神社より、12号柱を望む。
|
|
13号柱も、変わらず2回線とも腕木を使用したものとなっているが
|
|
ここではそれぞれ、使われている高圧ピンがいしの種類に違いがあった。
左側2つは3300Vの中でも、2種類あるうちの高圧1号ピンがいしとなっているが、右側については高圧2号ピンがいしとなっている。
なお、下段については、左端と中央寄りの2つは3300V仕様の旧型の高圧ピンがいし(高圧1号ピンがいし)となっているが、一番右側は6600V仕様の高圧ピンがいしとなっている。
|
|
|
ここでは上段回線の電線が、地上まで垂れ下がっていた。
ま、2度とここは電気が流れることはなかろうから、別に触っても大丈夫そうだが
|
|
14号柱はやや山の中にあり、近づけまいが
|
|
こちらの腕木は、上段回線の方で破損しているのが見えた。
|
|
見た感じ、ここはなんとか上段の腕木のアームタイが外れなかったため、辛うじて落ちずに済んでいるようだ。
上段の腕木が崩れた理由については、その上段回線の方の腕木に、少し重量のある10号中実がいしへ、がいし交換をしてしまったことが絡んでいそうだ。
|
|
また、一部の高圧がいしは落下時の打ち所が悪かったようで、上段回線の右側にあったと思われる高圧2号ピンがいしは、大きく破損しているのが見て取れた。
10号中実がいしは、腕木から脱落後は、なんとか下段回線の腕木に支えられて落ちずに済んだようだ。
それにしてもここは、永久的に残すのだろうか
|
|
なお、10号中実がいしの製造年は、1982年(昭和57年)製となっていた。
製造メーカーは、那須電機鉄工製
このエリアは少なくとも、1980年代までは使っていたのだろう。
|
|
電線路の途中には、特に開閉器などは見当たらないから、変わらず赤倉線だと思うが、プレートの文字はほとんど消えており、確認ならず。
番号順に行けば、こちらが14号柱である。
|
|
続いて15号柱は、一度柱ごと設備更新したのか、支持物は鉄筋コンクリート柱で
|
|
アームは腕木ならぬ腕金で、上下回線ともに10号中実がいしによる引き通しとなっていた。
|
|
番号順に行けば16号柱
|
|
こちらはまたもや腕木の破損が目立っていた。
見た感じ、ここはまた支持物ごと全てに木材を使用しており、高圧茶台がいしを使用した両引き留め装柱だったそうだ。
その中で、上の方の腕木が真っ二つに折れてしまったようだ。
やはり腕木は、木柱との取り付け部が特に腐りやすいことが伺えた。
|
|
高圧茶台がいしについては、こちらも特に大きなVストラップは仕様せず、中央寄りの1本は直線ストラップで上下に挟んで腕木に取り付けていたようだ。
|
|
それにしても凄まじい破壊力
ここは自然的に崩壊したのだろう。
|
|
|
17号柱は、またもや支持物ごと設備更新をされたようだ。
なお、このエリアでは高圧用腕金の取り付け位置は、引き通し引き留め含めて中央固定が基本のようだ。
ここはまた東北電力の影響を受けたのだろうか
|
|
18号柱は、またもや木柱!
|
|
高圧ピンがいしの種類については、上下で違いあり。
上部は高圧1号ピンがいしで、下段が高圧2号ピンがいしである。
それにしても、2号ピンがいしが3つ並ぶ引き通しは、ここで見たのが初かもしれぬ。
なお、ここは特に腕木が腐食しているような感じはなく、綺麗に残っていた。
|
|
18号柱は、龍蔵寺入口の右側にある。
|
|
プレートの文字は、こちらも確認ならず。
|
|
|
ここではアームを含めて、全てが木製である。
|
|
なお、こちらの木柱の地際については、お寺の入口ということもあってか、少し補強されたものとなっていた。
木柱に関しては、特に地際部分が早く腐りやすい。
そのためここでは、1本多めに根入れの木柱を入れて補強しているのが見て取れた。
ちなみにこの手法を副木といい、これまた地方ごとに見られる種類も違うのだそうだ。
|
|
他には、本柱の両側に2本の木柱を地中へ入れて、本柱と固定することもあるそうで、それはまた人形副木というそうだ。
|
|
ここでは1本のみの副木となっていた。
固定箇所は、わずかな力でも動かぬよう、かた〜くしばりつけてある。
なお、赤倉線の木柱は、これで最後となる。
以降は柱ごと設備更新済みのものが続く。
|
|
19号柱では、10号中実がいしの配列は、均等に2:1に配置されたものとなっていた。
|
|
しかしその次の20号柱では
|
|
高圧用腕金は再び中央固定で、10号中実がいしは不均等に2:1に配置されていた。
この辺の設備は比較的綺麗な状態であり、まだまだ使えそうである。
|
|
そして!赤倉線は21号柱で、2回線から1回線になっていたようである。
|
|
しかしこちらは、2回線間に開閉器などがなく、そのまま2回線が1回線になるのは多少の違和感もある。
それから引き留めクランプカバーも、東電管内では見慣れないものだ。
|
|
これだと、上段回線は大分前に廃止にしていたということだろうか
ジャンパー線支持の高圧ピンがいしは、上下で確認できた。
他には、ここからは変圧器も載っていたような変台も複数確認できた。
なお、変圧器は2台設置できるスペースがあるが、高圧引き下げ線については2本しかないから
いずれとも変圧器の用途は、電灯用であったことがうかがえた。
|
|
1回線になった22号柱では、高圧ピンがいし2連引き通しで急角度を振っていた。
|
|
こちらも変圧器への高圧引き下げ線は2本であるから、電灯用変圧器が1台あったのかと思われた。
|
|
そして23号柱で、電線は完全に寸断されていた。
|
|
しかしここはこの感じであれば、もっと奥にも高圧配電線が続いていたように見える。
下段の腕金の取り付け向きを見ると、右側へややUターンする形であったように見られた。
|
|
それから電灯用変圧器については、ここにもあったようだ。
どうやらこの付近には、愛宕下集落(社宅)があったらしく、かつてあった電灯用の変圧器は、主にその電源用にも思えた。
|
|
|
反対側より、蓋の開いた箱型高圧カットアウト
|
|
|
集落の案内版はこちら
なお、赤倉線の支持物に関しては、以降も電線が切られた状態のものが所々で残っていたようだが、それについては撮影時にはなくなっていた。
見た感じ、それは相変わらず木柱だったり、中には鉄柱で銅線を張ったものもあったみたいだ。
そして最後は!どの配電線とも切り離される形で残っている銅親水公園付近の配電遺構を見てゆく。
|