3本のジャンパー線支持に耐塩皿がいし その6(既に現存せず)
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東京都大田区東横嶺町を通る環八通り沿いでも、ジャンパー線支持用として現役の耐塩皿がいし発見!
こちらもまるまる3本の支持用でそのまま残っていた。
なお、この周辺では久が原でも現役を確認している。
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それにしても、設備の更新頻度が著しく高いこうした幹線道路沿いにそれが残っているのは意外だった。
大通りの配電設備に関しては、配電幹線は基本的に国道沿いなどの大通りに施設されるのが基本であるから、大容量のアルミ線へ更新される割合が高い。
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しかしここは幹線というわけではないようで、更新を免れたようだ。
ということでこちらも高圧絶縁電線は細く古びた銅線で時が止まっていた。
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架空地線については最初からなかったように見られた。
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耐塩皿がいしの種類については同じ構成だった。
普通の高圧ピンがいしに耐塩皿を追加したものである。
大田区はこの種の耐塩皿がいしが多い。
しかし大田区もそれなりに海に近いから、強耐塩仕様の耐塩高圧ピンがいしに耐塩皿を追加したものもありそうだが、それはあまり見つかっていない。
というのもこれは、その配電線の施設時期も絡むと思われる。
昭和35年前後は初期の普通の高圧ピンがいしに耐塩皿を追加した耐塩皿がいしで
昭和45年前後のが2代目の耐塩高圧ピンがいしに耐塩皿を追加した耐塩皿がいしとなるのだろう。
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ここでちょっと光学15倍ズームで製造年撮影のため、撮影機材変更
FinePixF300EXRで撮影
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真下から眺めるとこんな感じ
新しいものと古いものが混ざって取り付けられているのにも少し不思議な感じがした。
新しいのは変圧器の方である。変台不要の近代仕様となっている。
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なお、使われている耐塩皿については、メーカーが不揃いのようで、赤い線引きの位置が違うのが見て取れた。
右側の耐塩皿は那須電機鉄工製かと思われる。
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さて、製造年だが一番右端のもので確認できた。
こちらは1967年とあった。昭和42年だ。この年代は耐塩皿がいしが数多く普及していた時期である。
なお、この耐塩皿の製造メーカーは不明
東電管内で発見できた耐塩皿がいしの多くは、メーカー名不明の☆マークが多い。
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反対側からももう一丁!
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高圧用腕金の長さについては普通の1800mmのようだった。
時が止まっていたのはこの配電柱だけだった。
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他のものは見回してみても耐塩皿がいしは一切なかった。
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昭和40年代には大量にあったことだろうが撮影を行った平成24年には、既に環八通り沿いでは唯一の発見だった。
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最後の最後にもう一枚!
私は犬派なんで、建物の上に乗っかっているワンちゃんの像も気になった。w
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