秩父鉱山の構内用配電線路 その3
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こちらは個人の趣味からすると撮影対象外であるが、珍しい箇所があったため撮影
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それは電信柱に架空地線支持の腕金ならぬ腕木があることだ。
それを支えているがいしも、贅沢にも低圧2重がいしが使われていたように思えた。
それにしてもこの腕木は、何か家具などで見るような材質の木をしている。
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この電信柱のプレートは、1本前のものになるが、上部にあるエンブレムが民営化前のダイヤル式黒電話時代(4号黒電話)でよく見た、電電公社のエンブレムとなっていた。
これまた大分古く、年季が入ったものとなっていた。
さて、この後は、林道 金山志賀坂線に入るが、しばらくしないと先ほどの構内線は見えて来ない。
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しばらくすると、男湯と女湯が分かれた鉱山の従業員専用の廃浴場が見えてくるが、先ほどの鉱山施設から繋がっていたであろう2回線の構内線は
その廃浴場の少し手前から再び見えてくる。
電線がぶった切られた状態であるから、区間によっては電柱ごと除却された箇所もあったようだ。
上記写真は、その廃浴場を超えた地点から振り返って撮影したものだ。
左側には廃浴場の屋根も見える。
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なお、この辺りの設備は近代的
見た感じ、1990年代に一度設備更新を行ったようである。
よって、支持物は鉄筋コンクリート柱で、架空地線の支持はキャップ
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1990年代に設備を更新した後も3300V設備であり続けたのか、高圧の両引き留めで使われる高圧耐張がいしは、相変らず1個連が続いていた。
なお、下段回線については、高圧は張られていないのが見える。
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続いて、アングルを使用したものについては、この先も続いていたが、ここからは1990年代に設備更新したものが続く。
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高圧ピンがいしも昔の3300Vの傘つぼみ仕様ではなく、ここは近代の6600V用だった。
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この先では、鉱山の従業員が使っていたであろう古い社宅と共に、ダブル変圧器を載せたこれまた大分古そうな木柱の引き留め柱が見えてきた。
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その木柱へは、こちらの下段回線より分岐されていたようである。
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ま、ここは、反対側の高圧は廃止となっているから、正確にはここで振り分けていると言えそうか
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なお、こちらのジャンパー線支持で使われる高圧ピンがいしは古く、3300V用のものだった。
この方は以前使っていたものを流用したように見られた。
次は改めて、その下段回線の振り分け先を見てゆく。
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振り分け先は、また年代物多き設備だった。
まず支持物は木柱で、変圧器は2台あるものとなっているのだが、どれも古そうだ。
なお、高圧引き下げ線については、上部の方では特にトンボ腕金で支持されているような感じはなく、そのまま変圧器へ向けて引き下げられていた。
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変圧器については、ここは特に左側が古そうだった。
なお、各ある変圧器の前面には、2つのハンガーも付いている。
当初はハンガ―装柱にする予定だったのだろうか?
それからここのカットアウトは、プライマリカットアウトではなく、箱型の高圧カットアウトとなっていた。
ちなみに変圧器は左側に小さく見える木柱のところでも変台が組まれてあって、そこには黒塗りの変圧器もあったようだが、なくなっていた。
その変台は崩壊が進んでおり、そのまま黒塗りの変圧器は落下したようなことも考えられた。
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さて、再度本線へと戻り、先へと進む。
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先も変わらず、ずっとアングルを使用したもので高圧ピンがいしによる引き通しが続いた。
なお、撮影時は全然気が付かなかったが、ここではストリートビューで、柱に電線路名の記載があることに気が付いた。
それを見ると、電線路名は日窒珪砂狩倉線とあった。
振り分け番号につうては、丁度この柱で13号柱となるようだ。
ちなみにここまでは13本以上の支持物があったから、事務所より前にあるのは、また別の路線となるのだろう。
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この奥に写る高圧耐張がいしを使用した両引き留め箇所は、14号柱となる。
その先の区間は、17号柱までは道路から見えないため、スキップ
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日窒珪砂狩倉線17号柱はこちら。
これはもうかなりの近代構成だった。
物足りないのは、高圧耐張がいしと引き留めクランプカバーぐらいである。
なお、ここでは上部に1回線分空間が空いているのが見えたが、以前はここも2回線だったように思えた。
続いては、最下段の分岐先を見てみる。
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