的場連絡線を追跡 その1
(撮影年月日:2019年2月24日)
さて、ここからはもう一方の送電線!的場連絡線を東原発電所まで追跡してみる。
東京電力の引き留めの配電柱とツーショット
右側にある木製電柱が的場連絡線という送電線である。
的場連絡線というのは、こちらだ。
こちらは配電線に見せかけて、実は送電線というものになる。
送電線と言える理由についてだが、電線路の途中には一切、配電線と思わしき変圧器を乗せた負荷のかかったものが確認できないからである。
なお、支持物については、旧式の木柱となっており、アームについては腕金ならぬアングル(角材)で、高圧がいしについては、2重ヒダ仕様の耐塩ピンがいしの使用が目立つ。
この種の耐塩ピンがいしについては、東京電力管内では見かけない規格品となっている。
同様に、お隣の中部電力管内でも見かけることはないが、東海地方の構内用配電線路では、古いものでよく見かける種類である気がする。
次いで、年式については、取り付けられている2重ヒダ仕様の耐塩ピンがいしの製造年が1962年(昭和37年)製であることを確認したので、大体その頃のものかと推測する。
それにしても、半世紀を超えた2019年現在でも、活線であるのが驚いた。送電線としては、やたら低く、それも裸硬銅線を使用しているからである。
多分現在では、こうした低い送電線であるのならば、安全上のため、絶縁電線に取り換えるはずである。
架空地線の支持については、送電線と同じく裸硬銅線を使用しており、これの支持については、避雷対策のためか、やたら長いアングルを使っている。
さて、的場連絡線の起点となる的場発電所はこちらだ。
ここより、配電線に見せかけて実は送電線という的場連絡線を追跡してみる。
ここから、1号、2号、3号と続いているようだが
1号については、確認できなかった。
見えたのはこちらの2号からである。
ここでおさらい。
緑青で緑色に変色した裸硬銅線による送電線の引き通しに使われている高圧がいしについては、東電管内では見慣れぬ、2重ヒダ仕様の耐塩ピンがいしを使用!
なお、送電線のすぐ下には、誘導障害対策による遮蔽線だろうか、低圧茶台がいしを2つ取り付けて、2条の遮蔽線を張っているのが見えた。
奥多摩で見た孫惣線もそのようだった。
通常は、こうした電柱に見えるものは、それがあるとそこは低圧配電線と思いがちだが、こちらは送電線であるので、そういった考えは通用しない。
2号柱を横から
そして、起点付近の高圧用アングル(ここでは腕金ではなく、角材のかなり古いアングルを使用!)の取り付け向きについては、裸銅線の張力の関係か
負荷側向きになっていない箇所が複数確認できたが、奥に進むにつれ、2回線ある送電線は、負荷側向きのアングルが目立った。
こちらは3号柱
同じくこちらも、高圧用アングルについては、負荷側向きでなく、電源側の発電所側を向いておった。
こちらは4号柱
架空地線支持のアングルについては、とてつもなく長い。
支線については、張れるスペースが確保できるエリアのみ、張られているのが見えた。
ここからは手前より、5号(ダブルヒダ仕様の耐塩ピンがいしを木柱を挟んで均等に2:1に配置した引き通し)
6号(ダブルヒダ仕様の耐塩ピンがいしを不均等に2:1に配置)
7号(ダブルヒダ仕様の耐塩ピンがいしを不均等に2:1に配置)、8号(中央のみ引き留め)と続く。
架空地線支持のアングルについては、長いものが目立つが
7号については、少し木柱の背丈が高すぎたのか、低い位置に取り付けられている。
しかしお次の8号は元通り
なお、高圧用アングルの取り付け向きについては、こちらの8号柱より負荷側向きとなる。
次の9号柱については、中央のみ両引き留め
こちらは高圧耐張がいしの個数については、1個ずつの取り付けとなっていた。
となると、送電電圧は3300Vだろうか
8号柱を別アングルで!
やはり、やたらと長い錆まくった架空地線支持のアングルが目立つ。
緑青で緑に変化した銅線も今では、古びた遮蔽線(東京電力管内)か架空地線(中部電力管内)ぐらいでしか見かけることがない。
ご覧の通りこちらは、両側は引き通しで
中央のみ両引き留めだ。
なお、高圧耐張がいしの引き留めクランプにカバーがないのは、正しく昭和35年前後の設備であることを表している。
2重ヒダ仕様の耐塩ピンがいしの製造年については、一番若くて1964年(昭和39年)製のようだった。
日本ガイシ製だ。
とりあえず、8号柱は他にはないレア構成であった。
8号柱の横写真はこんな感じだ。
続いてこちらが9号柱
9号柱については、両引き留めとなっていたが、アングルは片寄せされており、1連の高圧耐張がいしは2:1にして配列されていた。
なお、ここでは、強度対策のためか、木柱以外に、極端に長くなった架空地線支持のアングルからも支線が降りておった。
9号柱の番号札
続いてこちらは10号柱
10号柱は引き通し
10号柱の番号札はこんな感じだ。
10号と11号を振り返るとこんな感じ。
続いてこちらは11号柱だが
11号柱については、一度更新された形跡があった。
なお、こちらの送電線の引き通しに使われている高圧がいしについては、2重ヒダ仕様の耐塩ピンがいしではなく、普通の高圧ピンがいしを使っていた。
次いで高圧用腕金の取り付け向きについては、こちらは負荷側向きにはなっていない。
11号柱の番号札
なお、更新箇所の年式については、1981年(昭和56年)と見てよさそうだ。
そして、11号柱を越えれば
12号柱と共に的場第二発電所が見えてくる。
発電所の建物を見ると、やはり昭和35年前後のような感じがする。
さて引き続き、的場連絡線を追跡していく。
手前にあるのは、12号柱だ。
こちらも11号と同じく、更新されていた。
だが、その次の13号柱については、またしても古くなり、支持物はやはり木柱だ。
なお、ここでは、的場第二発電所で発電した送電線を追加するためか、裸銅線となった送電線は、ここから2回線となる。
それにしても、木柱に取り付けられているアームについては、どれも古く、やはり角材のアングルとなっている。
錆が凄いので、昭和37年頃のものかと推測する。
なお、ジャンパー線支持の高圧がいしについては、下段のものについては、2重ヒダ仕様の耐塩ピンがいしに加えて、普通の高圧ピンがいしも混じっている。
さて、的場第二発電所から引き出されている1回線はこんな感じだ。
高圧耐張がいしについては、やはり引き留めクランプカバーはなく、そのまま裸電線が出ていた。
なお、その下の部分については、断路型避雷器が取り付けられていた。
3つの高圧耐張がいしの下では、茶色のがい管も確認できたが、今はそれは使っておらず、ケーブルヘッドを使って、送電線を引き出しているようだった。
そして、こちらの12号柱の下段の方へ、別の1回線として、向かっているようだった。
なお、頂上にある架空地線支持のアングルについては、支線も混じっているようで、3方向のワイヤーを支持しているようだったが
特にここは、架空地線の引き留めでよく見かける鳥居型にはせず、普通に1本のアングルで3方向のワイヤーを支え切っているのが凄まじかった。
それから、高圧耐張がいしについては、いずれともやはりカバーはない。
裸電線による振り分け引き留め柱だと、鳥などがぶつかって短絡しそうな感じがするが、いかがなものだろうか
同時にここでは、右手前にあるソテツが、南の島であるような感じも生み出していた。

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