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「がいし」とは?
(碍子の碍は常用漢字外)
街中にある配電線の電柱であれば、電線と電柱の間で、郊外にある送電線の鉄塔であれば、送電線と鉄塔の間で絶縁させるもので、電気が地上まで漏電しないように、絶対なくてはならないものがある。
また、同時に電線を支える役目も持っている。それが「がいし」(insulator)である。
ここでは外にある一番身近なもので「がいし」の説明をしていこう。
まずは送電線!

水力発電を使った長距離送電線路の先駆け!日本初の11万5千ボルト(115kV)系統・猪苗代旧幹線
(※現在は送電電圧は154kVに昇圧されており、中相の腕金も懸垂がいし増結のため、改造されている。)

送電鉄塔の腕金から吊り下がる皿形状のものが「がいし」である。
ここでは254mmの懸垂がいしを使用

主に6万6千ボルト(66kV)以上の架空送電線路の支持に使われる標準型の254mm懸垂がいし
写真のものは昭和2年(1927年)製で日本ガイシさんの製造品である。ロゴは旧ロゴ

製造会社のロゴマークのそばに書かれているのが製造年となるが、これは相当昔のものだと型式も一緒に記載がある。
また、その製造年の印字の仕方も、年代によっては西暦表示であったり皇紀表記であったりさまざまである。
その場合は、下2桁のみ印字があることもある。
なお、皇紀表記については、昭和初期頃〜終戦の昭和20年頃まで印字されていた。
元号表記についてはほとんど例がないが、これまた製造メーカーによって違いがある。
印字の順序については、製造会社のロゴが上部に来て、その下に製造年が印字されるのが基本のようだ。

送配電で使われるがいしは、風、雨、雪等の自然の外力の加わって、温度の急変、湿気を吸引しないこと、長期間に渡って着実に使用できることなどが求められるため、材質は磁器製が多い。
ここで磁器とは、陶土、長石、石英の微粉を約4:3:2の割合で配合し、圧縮成形し、釉を塗った後に1300℃〜1400℃で焼成し、それを徐々に冷却を行って作ったものをいう。
国内ではこうした磁器がいしがよく使われる。
海外には色を付けたガラスがいしもあるようだが、国内では試験的に使われていたぐらいなので、見かけるのはごくわずかである。
それも近年ではその試験運用のがいしも送電鉄塔の建て替えに伴い、完全に姿を消そうとしている。
詳細は後述に掲載

架空送電線のがいしの歴史と種類の説明(簡潔編)

当初は送電線も配電線もかつてはピンがいし(送電線は特別高圧ピンがいし、配電線は高圧ピンがいし)が多く使われていた。
しかし送電線のピンがいし(特別高圧ピンがいし)については、昭和30年代以降、電力需要増加に伴って送電線の電圧が上昇されたことやがいしの機械的強度が疑われたことなどが絡み、現在は使われることはなくなった。
その次世代版として登場したのが円盤型形状をした懸垂がいしであり、種類は大きく分けると内陸で使われる普通の懸垂がいし海に近いエリアで使われる耐塩懸垂がいしの2種類がある。
(なお、かつては海に近いエリアで使われる懸垂がいしには、後もう1種類があり、外ヒダが一回り突き出たスモッグがいし(耐霧がいし)もあったが、近年ではほとんど見かけることはなくなった。なお、これの初期型については、外ヒダが複数あった。)
また、これらには取り付け金具の形状の種類もあり、クレビス形とボールソケット形がある。
それでは説明用に実際に購入した私物で、一般的に使われている直径サイズ254mmの標準型懸垂がいしの例を挙げてみよう。

66KV送電線路でよく見かける254mm懸垂がいしの例
内陸用と塩害地域用でそれぞれ2種類ある。
塩害地域用の方が一回りがいしの絶縁できる距離(表面漏れ距離)が長くなっている。

クレビス形は普通の懸垂がいしでよく見られ、ボールソケット形は耐塩懸垂がいしで主流となっている。
サイズについては、標準で使われている懸垂がいしの直径サイズは、送電電圧66kV〜154kVの普通のもので254mmのものが使われるが
強度を必要とした超高圧送電線(UHV:Ultra High Voltage)では、320mm以上の高強度による大きいタイプの懸垂がいしも使われる。
また、電圧が高くなれば高くなるほど、がいしの個数も増結され、それに合わせて鉄塔の形も大きくなる。
一方、海に近い塩害地域エリアでも、送電線(充電側)と鉄塔(接地側)との絶縁距離(表面漏れ距離)を長くするために、がいしが増結されることもある。
そして、上から吊り下がっているがいし連は、10個ごと識別ができるよう、途中に茶色の懸垂がいしを挟んで印をつけている。
なお、これについては昔は青色が主流だった。
下記写真は、日本初の50万ボルト房総線であり、10個ごとの識別に青色の懸垂がいしを使用した珍しい例となる。

日本初の50万ボルト送電線・房総線にて!
東京電力が昔発行していた電気雑誌・東電グラフ 昭和41年8月1日発行によれば、1組4導体の2回線同時併架の送電線としては、当時、世界初の50万ボルト送電線でもあったそうだ。

ここでは50万ボルト(500kV)の絶縁のために、1回線ごとの支持に合計35個の懸垂がいしが使われる。
10個ごとの識別には青色の懸垂がいしを使用
こちらは、新京葉変電所付近にある房総線3号鉄塔で確認した。

一方で、昭和35年(1960年)頃だろうか、今度は単一のがいしで、送電線(充電側)と鉄塔(接地側)との距離(表面漏れ距離)をさらに長くした長幹がいしも登場した。

長幹がいしを使って、架空送電線の両引き留めをしている例
(写真一番手前側)

この長幹がいしについては、東電管内では、ジャンパー線支持用や変電所構内の門型鉄塔以外では、ほとんど使われない。
ここで長幹がいしを確認できたのは、両引き留めをしている部分のみで、ジャンパー線支持には外回りのヒダが一回り突き出た仕様の旧型のスモッグがいしを使用している。
そのスモッグがいしも、ヒダの枚数によっては初期型、後期型があり、ここで使われているのは外ヒダ1枚の昭和40年前後の後期型である。
撮影は戸塚変電所付近にある香川線2号鉄塔となった。
ちなみに香川線で使われていた旧型のスモッグがいしは、電気の史料館にも展示されている。
他には後述で紹介の青色のフランス製のガラスがいしの展示もあるみたいだ。
ボールソケット型のガラス仕様の懸垂がいしについては、昭和41年(1966年)に、フランスから輸入とある。
当時、磁器がいしとの比較検証のため、輸入したとあり。
いずれとも「電気の史料館 ガイドブック 2003年5月1日発行」にも載っている。
そのガイドブックは、2001年の同館開館2年後に発行されたようであるが、現在は相当な絶版で、入手困難である。
日本の古本屋にも一応、本自体は登録されているようであるが、中古品は並んでいない。

少なからず、ポリマーがいしも普及

最近では、材質にシリコンを使用したポリマーがいしも一部では実用化されているが、まだまだ数は少なく、稀に見かけるほどだ。
私が見かけたのは、千葉県にある花見川線と神奈川県にある大和線ぐらいである。

写真は大和線のもの
東電管内では、青色と茶色を見かけている。

<<そして!国内での普及数はごくわずかであるが、輸入品である珍しいガラスの懸垂がいしを使った箇所が上信線にある。(2019年確認時点)>>

ガラスがいしを見ることができたエリアは、長野県東御市新張と群馬県嬬恋村を通る上信線の一部であった。
この辺りでは昭和40年頃、試験的にガラスの懸垂がいしを使用していたようだ。
しかし今後は、昭和8年建設の上信線の送電鉄塔の建て替えに伴い、ガラスのがいしも通常の磁器がいしへ取り換えられるようである。
残すところ、そのガラスがいしのあるエリアも大分狭くなってきた。

こちらは上信線198号鉄塔にて確認
こうしたガラスのがいしは、海外に多い。

ガラスのがいしは全て輸入品
ここでは白がイギリス製で

青がフランス製である。

架空送電線路で使われる鉄塔用のがいしの説明は以上となる。
次は配電線で使われるがいしの説明をしてみよう。

配電線のがいし(配電用がいし)の歴史

配電線のがいしも昔は高圧ピンがいしが主流であったが、現在では関西電力以外では、高圧配電線の引き通しで使われることはほとんどなくなった。
なくなった理由については、高圧配電線の配電電圧の昇圧(3300Vから6600Vへ昇圧)と高圧がいしの性能向上が絡む。
性能向上の1例をあげると、高圧配電線を絶縁電線にしてから雷害による高圧配電線の断線被害が頻発したことがあげられる。
東京電力管内でもかつての昭和50年代頃までは、高圧配電線の引き通しに高圧ピンがいしを使用していたが、高圧配電線を絶縁電線にしてからは誘導雷(雷サージ)によって過電圧が高圧配電線に侵入する事故が頻発した。
(※配電線も昭和20年代頃までは、送電線と同様に裸電線を使用していた。)
被覆のある絶縁電線となっていると、当然その逃げ道がないため、高圧配電線が断線した。
その対策として登場したのが「クランプがいし」であり、高圧配電線の引き通し(支持点)で絶縁電線を被覆を剥ぎ、そこで誘導雷を放電できるようにしたのである。(東京電力管内)
ちなみに、クランプがいしが登場する前は、高圧配電線の上部に1条の架空地線を張ったり、高圧配電線の分岐箇所や柱上変圧器の設置箇所を重点的に避雷器を設置したり色々な対策をとっていたようであるが
やはり誘導雷によって発生した過電圧の逃げ場があまりないのでは、当時効果はあまり発揮できなかったそうだ。

高圧配電線の引き通しで使われるクランプがいしの例
配電線のがいしの種類

配電線のがいし(配電用がいし)は大別すると、高圧がいし(高圧配電線用)低圧がいし(低圧配電線用)の2つがある。
高圧がいしは、ゆえに高圧用であることがわかるよう高圧危険の赤い線引きを施したものがあったが、近年ではそれは省略傾向にある。
低圧がいしは高圧がいしよりも小型であるのが特徴である。
なお、東京電力管内で使われている配電用がいしの説明については、こちらのページで紹介している。

※高圧と低圧の違い:高圧とは、交流の場合は、特別高圧は7000V以上。高圧は600Vを超えて7000V以下のもの。低圧は60Vを超えて600V以下となっている。

「碍子」と漢字で書かなくなった理由
当サイトでは兼ねてより(電柱ブログを開設した当初の2007年〜2012年にかけて)、「がいし」を「碍子」と変換をして、サイトに書き込んでいたが、常用漢字でないことを知った。
(電気関係の学校に行くまでは、不勉強で知らなかった。)
かつて在学していた学校(電気電子工学科)では、たまたま「高電圧やがいしの汚損」に関しての研究室に所属することになったのだが
そこで教授より「碍子という字は漢字では書かない。」ということを学んだのだった。
「碍子」の「碍」の文字は常用漢字でないことを知ったのだ。
しかし「子」は普通に常用漢字だから「がい子」と書いてしまいがち
稀に「がい子」と書かれている送配電工学系の文献も見るが、どうも見た目が悪い。
そう書いてしまうと、「がいこ」とか違う読み方になってしまうこともあるから、全て平仮名で「がいし」と書くようになったそうだ。
また、文章中に平仮名だと区別が付きにくいこともあるので、カタカナで「ガイシ」と書くのもいいようだ。
それから当時は、数々の送配電工学系の文献があることも知った。
そこでもやはり「がいし」は変換せずに、ひらがなで書き込まれていた。
これでようやく文献でも、「碍子」と漢字で書いていない経緯がわかったのだった。
それからはブログやホームページを含む当サイトでも平仮名で書くようにした。
幅広いがいしの種類
がいしは常に自然にさらされているから、時期によってさまざまな被害を受ける。
夏場になれば雷でがいしが壊されたり、台風や季節風によって海から運ばれてくる塩ががいしに付着すればフラッシオーバー(火花放電)を起こしたりすることがある。
これは乾燥した状態では特に問題はないのだが、塩が付着した状態で雨が降ったり霧が発生すると火花放電を起こすのである。
これらに備えて送配電のがいしにはさまざまな種類がある。
日本ではここにしかないと思われる、かなり珍しい配電線のガラスがいしの例

配電線で使われるガラスがいしは、日本では恐らくここだけかと思われる。
なお、ここでは上信線では確認できなかった、特別高圧ピンがいし仕様のガラスがいしも確認できた。

塩害対策のがいしの種類
配電用の耐塩がいしの例(廃止)

中にある単一の高圧ピンがいしだけでは塩害を受けてしまうため、ここでは耐塩皿(たいえんさら)を追加している。
冒頭で少し触れたが、これもいわば、がいしの表面漏れ距離を長くしたものだ。
東京電力管内では、海に近いエリアで昭和50年代頃まで確認することができた。

 

写真右側に耐塩皿がいしを示す。
送電用の耐塩がいしの例

塩害の被害を受けにくい内陸部の山などでは、溝が深くない通常仕様の懸垂がいしが使われているが、海から近い地域では溝(表面漏れ距離)を長くした耐塩懸垂がいしが使われている。

 

領家線3号鉄塔にて、2010年12月撮影
送電用の塩じん埃対策の旧式のスモッグがいし(耐霧がいし)(廃止)

外ヒダが一回り突き出はスモッグがいしは、昭和30年代〜昭和40年代までを中心に、工業団地、化学工場の付近、海沿い、水田や畑のある地域を通る架空送電線路の支持用で使われていた。
(それ以前には、外ヒダが複数付き出た仕様のスモッグがいしもあった。)
名前のとおりこれは普通の懸垂がいしとは違い、一回りヒダを突き出すことで、がいしの表面漏れ距離を長くしていた。
しかし近年では、外ヒダを一回り突き出させるよりも内部の溝を増やした新種が登場しているため、見かける数はそうない。

 

東京中線2095号鉄塔にて(外輪系統)、2012年11月撮影
送電電圧が高いため、かなりの量のスモッグがいしが確認できる。
識別には茶色のスモッグがいしを使用

旧式のスモッグがいしが確認できるのは、圏央道に沿ってある昭和30年代建設の送電電圧275kVによる東京東線、東京中線、東京北線、京浜線(外輪系統)である。
この送電線の経過地のほとんどは水田や畑付近であるが、ここでは濃霧に対するがいしの汚損対策であったのだろう。
ちなみに東京都内では、66KVの杉並線(内輪線)でそのがいしを確認したが、都市の近代化によって鉄塔が全て美化鉄塔へ建て替えられたので、もう今は見ることはできない。

 

杉並線41号鉄塔にて、2011年12月撮影
ここでは珍しく、旧式のスモッグがいしがV吊されてある。
国内では、ポリマーがいしより磁器がいしが多く使われている。
ポリマーがいしは軽量で撥水性もあり、汚損に関しては優れた性能を持つようだが、劣化は磁器がいしよりも進行しやすいから、配電線についても、まだまだ磁器がいしの方が普及率は高い。
これはいかにも長期間に渡って、厳しい自然下で長く使い続けることができるのが今後の課題なのだそうだ。

ちなみに関西電力管内の重塩害地区では、既に特別高圧線(22kV)の引き通しにポリマーがいしを実用化している。
かつてはLP(ラインポスト)がいしを使うのが主流だった。

 

ポリマーがいしの使用例

ポリマーがいしの拡大写真
これは磁器がいしよりも軽量かつ、溝の厚みは薄いのが特徴である。
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にて、2011年8月撮影(写真は友人提供)
がいしの祖先は絹糸・電力輸送が発展した頃の送配電がいしの歴史について
架空送電線のがいしの歴史と種類の説明(詳細編)

がいしの誕生説については、電気の発生方法が誕生した頃には既にあったようだ。
これをふまえて、18世紀には既に導体(電気の流れたもの)を絹糸で吊るして、大地と絶縁したという記録があるそうだ。
そして、19世紀には磁器がいしが登場し、国内では1910年代(明治後期)より、66kV以下の電圧が低い架空送電線路(特別高圧線)が登場し、特別高圧ピンがいしを使った架空送電線が登場した。
当時普及していた架空送電線路名を例を挙げると、鬼怒川線のバンザイ鉄塔や日本初の77kV系統・谷村線などが挙げられる。
なお、特別高圧ピンがいしについては、種類が複数あり、大きさによって号数が10号〜60号まで振り分けられており、当時はこれによって対応できる使用電圧の選定を行っていたそうだ。
例を挙げれば、特別高圧ピンがいし30号は公称電圧33kVの架空送電線路で使用していた。

 

特別高圧ピンがいしを使用したごく初期の送電線の例
当初は贅沢だった鉄塔は、送電電圧6万6千ボルト以下や重要幹線以外では使わせてはもらえず、木柱や鉄柱による送電線が多かった。

 

支持物に鉄柱を使用した例
こうした送電線は、近年では逆に現存数が少なく、貴重である。
ここではがいしに関しても、特別高圧ピンがいしのまま残っていた。O_O
特別高圧ピンがいしの使用時期と現状について

特別高圧ピンがいしは、日本で電力輸送が発展し始めた明治後期〜大正時代〜昭和30年代頃まで、送電電圧77kV以下の架空送電線路で使われていた。
しかし後に長距離送電が当たり前の時代となり、送電電圧が大きく昇圧して対応しきれず、77kV以下の使用でも機械的強度が問題なるなどしたため、昭和30年代以降は使われることがなくなった。
よって現在では、77kV以下の架空送電線であっても見かけることはほとんどない。

<特別高圧ピンがいしの主要寸法表>

                                                                                   
号数種別(号) 公称電圧(kV) 磁器の枚数(枚)
(ベース金具部を除く)
直径(mm) 高さの範囲(mm)
(ベース金具部を除く)
重さ(kg)
10 11 2 200 190〜210 2.5
20 22 3 240 245〜265 5.5
30 33 3 300 310〜330 8.5
40 44 3 350 375〜400 14.0
50 55 4 400 435〜465 21.0
60 66 4 430 490〜515 31.0
※電線路の公称電圧はJEC 0222により定められているらしいが、44kVと55kVは聞きなれない。
だが、古い文献には、そのような電圧にも対応する特別高圧ピンがいしがあるという記載があった。
※磁器の枚数については、当初、号数の下2桁目と一緒に増えているものかと思っていたが、実際は違うようだ。
※10号ピンがいしについては、東京都内で唯一見えるものがある。
それが東大和市にある史跡・旧日立航空機立川工場変電所である。ベース金具付きの貴重なものが裏手に3つある。
なお、特別高圧ピンがいしについては、期間限定で、博物館(明治150年記念 日本を変えた千の技術博)や美術館(練馬美術館の電線絵画展)で展示されていた松風工業製の茶色の明治期製造のものが有名である。(東京工業大学博物館の所蔵品)

特別高圧ピンがいし 20号の例
製造メーカーは日本ガイシ製で1959年(昭和34年)6月製造

特別高圧ピンがいしで確認できる傘片のようなものは、それぞれ1個、1個で振り分けられている磁器の部分であり、製造にあたってはこれを1つ1つセメントで固着することで製造していた。

特別高圧ピンがいし 30号の例
製造メーカーは同じく日本ガイシ製で1953年(昭和28年)1月製造

やや斜め下から見た写真
各ある磁器片をセメントで接着しているのが見える。

上から見た写真
<特別高圧ピンがいしを使っていた主な送電線の例>
7万ボルト以下の長距離送電線による。
これまでに特別高圧ピンがいしを使用していた有名な送電線路は、送配電工学系の本に載っているもので挙げてみるといくつかある。
1つは塔ノ沢線である。これは日本で初めて鉄製の送電塔を採用した架空送電線路であった。
2つは、駒橋〜早稲田間送電線である。これは日本初の5万5千ボルト送電線であった。明治40年(1907年)竣工でかなり古いものであるから、現存はしていない。
3つは八ツ澤線である。八ツ澤〜淀橋間送電線ともいったようだ。こちらも明治40年竣工の模様
なお、当時の送電設備はこちらも既に現存はしていないが、今は2代目による送電鉄塔が橋本変電所まで続いている。
4つは鬼怒川線である。これは送電塔の形がまるで人が両手を挙げてバンザイしているかのように見えるから、バンザイ鉄塔とも呼ばれた。
5つは谷村線である。これは日本初の7万7千ボルト送電線であった。
支持物は矩形鉄塔が基本で、今もなお当時使っていた矩形鉄塔が相模湖周辺に残っている。

かつて実在の桂川電力が建設した大正2年竣工の谷村線
特別高圧ピンがいしは取り外された状態となっているが、現在もその遺構は残り続ける。
どうせ残すのなら、観光地として、日本初の77kVであったことを説明する看板でも立ててもらいたいものだ。
(この送電塔については、竣工当時、絵葉書にもなっている。)
なお、当時の最高送電電圧は77kVであったが、特別高圧ピンがいしについては、一応、77kV対応可能な大型のものが実在していたようである。

 

2022年現在、道路より直接年式が確認できるのは、252号鉄塔のわずか1箇所のみ。
2000年代初頭までは、まだあちこちでプレートが現存しており、年式もはっきり見ることができたようなのだが、その後はプレートの劣化が進み、他のものは見ることができない。
ここでは、大正2年(1913年)6月と書かれているように見える。
電力輸送の度重なる発展や機械的強度が問題となり、特別高圧ピンがいしは廃止
水力発電が次々と普及した送電電圧154kVによる長距離送電時代について
1914年(大正3年)より、大きな猪苗代湖の水力発電を使った日本初の115kV送電線(猪苗代旧幹線)が登場し、その後は長距離送電線が当たり前の時代となった。
長距離送電となれば当然、送電電圧ももちろん上昇しなくてはならないから、これでは到底、特別高圧ピンがいしでは対応しきれなかった。

猪苗代第一発電所〜田端変電所までを結んでいた水力発電による長距離送電線の先駆け・猪苗代旧幹線!
竣工当時は世界第3位を誇った。なお、当時の送電電圧は115kVであったが、その後154kVに昇圧され、送電塔の腕金も一部は改造されている。
よって、これ以降は、円盤型形状をした懸垂がいしが主流となった。
しかしまだその当時は、いかに国産で丈夫な懸垂がいしが製造できるかが問題となっていた。
この時、猪苗代旧幹線では、2回線のうちの片回線に海外製のがいしを、もう片回線の方に国産がいしを使用するなどの実験も行っていたそうだ
当時はもちろん海外製のがいしがやはり丈夫で、国産がいしが数多く破損
ひどい時には、海外製がいしを国産がいしのそばに置いて、国産がいしが破損した場合に備えてすぐに事故時に対応できるようにしていた時代もあったようだ。
しかしその後は度重なる発展を遂げ、国産がいしも海外製並みに丈夫になり、今日では当たり前のように国産がいしを見かけるのが普通となった。

<現在も残る歴史的154kV架空送電線路の例>

日本で初めて送電電圧154kVによる長距離送電を開始したのは、龍島変電所から横浜変電所(現:戸塚変電所)までの区間を結ぶ甲信送電線(現:甲信幹線)である。

 

この送電線路は主に、川崎の京浜工業地域の電源確保を主として、かつて実在の京浜電力が建設したそうだ。
なお、その後は一時期、経営危機に陥り、日本発送電の所有となったが、戦後は東京電力の所有となった。

配電用がいしの歴史

まず、配電線の登場については、明治20年に東京電燈會社(東京電力の前身)が初めて配電々圧210Vで直流3線式配電を開始したのが初とされている
配電用がいしの登場はこの時であろう。また、電力(強電)用がいしの登場は、送電線よりも配電線が先であったことがうかがえた。
その後まもなく配電線では、高圧3重がいし、低圧2重がいしの使用が開始されるが、大正に入るまでは電圧は1000Vなどまばらだった。

高圧ピンがいしが登場する前は、高圧3重がいしが使われることがあった。
これは、通信用の3重がいしを応用した構造となっており、内部も名前の通り3重構造となっているのが特徴だった。
上記写真は高圧3重がいしのイメージである。
なお、これについては、高圧危険であることを示す赤塗があるものと、ないものも普及していたようだ。

実物はこんな感じ。
初期の3重がいしとして形が確立した頃のものであるため、製造メーカーによっては、赤釉の塗り方や濃さなど、細かな点には、若干違いあり。
唯これは、製造メーカーと製造年の記載は、ないものが大半のようである。
ちなみにだが、この高圧がいしは、大正11年(1922年)の時点で、既に存在を確認している。
第一期 竣成記念帖 群馬電力 大正11年12月25日印刷(群馬幹線の記念帖)を参考
発電所及屋外電気設備のところの写真で、左側にそれが写っている。
ここで画像に上げているがいしは、正にそのものに酷似している。
もしかすると、こちらの製造年は、大正時代なのかもしれぬ。

3重がいしというのだから、中は正しく3重構造!

その後、大正時代になると、まもなく(大正4年頃)、高圧配電線の電圧は3300V、低圧配電線の電圧は200V,100Vと統一され、電線も大分整理されていった。
今現在主力の三相3線式による高圧配電線が登場したのはこの時で、送電で使われるようなピンがいしが配電用でも別に開発され、使われるようになった。
唯、当時の高圧配電線の配電電圧はまだ3300Vである。
この当時は送電で使われるようなピンがいし他に、大きな傘つぼみ形状をした高圧ピンがいしの使用も開始されたようである。
その高圧ピンがいしについては、昭和3年(1928年)には既に登場していたようだ。
そしてその後の昭和30年代後半頃には、配電電圧が3300Vから現在の6600Vへ昇圧がされた。
なお、現在主力の配電電圧6600V用の高圧ピンがいしについては、昭和35年(1960年)には登場していたようである。

高圧3重がいしに続いて登場したのが高圧ピンがいしだ。
配電線の高圧ピンがいしの原型と言えよう2種類は、上記写真の通りである。
こちらは、初期の頃に送電線で使われていたピンがいし(特別高圧ピンがいし)に形状が酷似しているから、この2種類は初期の高圧ピンがいしと判定した。
この種の高圧ピンがいしについては、早くて大正後期には登場していたものかと思われた。
高圧危険であることを示す赤い線引きがはっきりと確認できるから、これも初期の配電線の高圧ピンがいしであることがうかがえる!

初期の高圧ピンがいしには、複数の種類あり、他にはこういうものもあった。
一応文献などによると、配電線でいう本当のごく初期型の高圧ピンがいしは、上記写真の形になるのだそうだ。
特徴は、磁器の下の部分が少し突き出ていることだ。

一方、当時の高圧受電設備用の高圧がいしには、こういうものもあったようである。
こちらはボルト形状が直線で腕木に差し込めるような形状をしていないため
用途としては、配電線(電柱)で使われていたのではなく、高圧受電設備でパイプアームに取り付けて使われていたものかと推定した。
受電設備用のがいしは、他にはギザギザ形状をしたドラムがいしもある。

3300V用の配電用高圧ピンがいしの種類
写真一番左側のものについては、昭和3年には登場の模様
一応名前としては、左側の2つが高圧1号ピンがいし、一番右側が高圧2号ピンがいしとあるようだ。
次いで色の種類だが、これは全体が赤塗であったり茶色であったりさまざまである。
上下に赤い線が2本書かれているものもある。

そしてこれは1960年(昭和35年)に登場した現在の配電用高圧ピンがいしであるが
昔の3300V配電と現在の6600V配電が混在していた頃は、上記の2種類が普及していたようである。
高圧ピンがいしにも大きさの種類が2つあって、写真左側の小さい方が3300Vで使用していた高圧ピンがいし(小)で、次いでその右側が現在の高圧ピンがいし(大)となっている。

2つの大きさの違いはわずか数ミリであるから、地上で大きさの判別を行うのはほぼ不可能である。
ちなみにこの時代から、高圧がいしの赤い線引きは1本だけとなり、全体赤塗仕様もなくなったようである。
なお、3300V用の高圧ピンがいし(小)については途中から廃止となり、現在は6600V用の高圧ピンがいし(大)だけが残った。
高圧ピンがいしに関しては、これが現在の主力となっており、関西電力管内では今でも内陸部で高圧配電線の引き通しなど、幅広い用途で使用している。

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